定規 直線や曲線、角を引くために用いる文房具 母:文房具店店主 合羽橋と什器、家出騒動 相撲大会優勝友人宅にお世話になる話
定規
合羽橋と什器の話
横浜にお世話になっていたころ。
1978年から1995年まで。小学校2年生になるので1982年ころから、母は文房具店の店主として働くようになった。以前までの店主が、引っ越すことになった様子。お隣さんとして過ごしていたが、入れ替わるように、となりへスライド。
1995年に東京に越してくるまで、文房具店兼自宅で暮らすことになった。文房具店の模様替えのようなことも行った。店内に設置するための什器を見に行くことになった。また、商品を買い付けに行く手伝いをすることになった。いつものように母についていくことにした。
合羽橋に向かった。
いろいろものがあることが見て取れた。同じようなものが大量に売られている様子が面白く映った。商品を買い付け、什器になるものも購入。
[文房具店]ダイドードリンコ自動販売機
1995年まで文房具店自宅で暮らすことになったが、家で過ごすことが多かったようだ。母はいつものようにお仕事をしているので、邪魔しない様子過ごした。本を見開いたり、テレビを見たり。Gameでも遊んだ。
自販機がやってきた。何台か店先に並んだ。アイスを購入することもできた。自動販売機の関係でダイドードリンコさんでバイトすることになったが、これは、まだあとの話。自動販売機の背面の部分にSpace。もともと以前からあったもので、前の店主もそこに、ものなどを置いていたようだ。物置Spaceになる。ジュースなどの飲料が入った箱を積み上げてある。同じように使うことになった。
自動販売機は新しくなった。
定規(じょうぎ、定木)は、直線や曲線、角を引くために用いる文房具。物を切断する時にあてがって用いることもある。素材は主に合成樹脂、アルミニウムやステンレスなどの金属、竹など伸縮や狂いの少ない素材が用いられる。
定規と物差し(ものさし、スケール)は混同されがちであるが、両者はその機能によって呼び分けられる。
定規は直線や曲線、角の描画に用いる器具である。数学で定規という場合、それは「平面上の任意の2点間を通る直線を引くことができる」というただ一つの機能を持つ道具を指す。他の用途、例えば長さや角度を測ることなどには使えない。定規とコンパスを使用した作図は、ギリシャ時代から盛んに行われてきた(定規とコンパスによる作図)。
1987年冬家出騒動
自動販売機 背面物置スペース 暖をとる
すぐに虫の居所が悪くなるのか、父とけんかすることが増え始めた。
中学生になるころか。反抗期になるだろうけれども、ある日の夕食時、食事中のマナーについて父ともめ、家出のように飛び出したことがあった。真冬。飛び出したのはいいものの、行く当てなどない。中学1年生だと、なかなか、夜中に誰かと会うのも難しければ、今のようにスマホがあるわけでもない。
夜中にあたりをウロウロしたものの行く当てもない。とはいえ、勢いよく飛び出したものだから、帰りづらい。どの面下げて、帰ればいいのか。そんなことを考え、自宅近くを歩いていると、自販機の背後のスペースが暖かかったことが思い出された。
確かに頭を下げて、帰宅すればいいのだけれども、意地っ張りなのかもしれない。ひとまず、自販機の背面に向かうことにした。
うん、狙い通り、暖かい…
しばらく、そこで過ごすことにした。
相撲大会で優勝 スイカをくれた友人宅
自販機の明かりは漏れ、車道を照らす明かりも見て取れる。
自動車がたまに通過する。人通りは少ない。ぼんやり過ごしていると、どこかで聞いたことある声。友人。名前を呼んでいるので、扉を開け様子を見てみる。
声の主は相撲大会で優勝し、スイカを分けてくれた友人。
"何やってんだ!"
どうやら母から連絡があったらしく、心配になって見に来たそうだ。自宅には帰りづらいだろうからと、友人宅にお世話になることになった。
四人家族。
お父さん、お母さん、友人、妹さん。
お母さんが天ぷらそばを用意してくれ、五人で食べることになった。夕食の喧嘩から飛び出し、少しも口にできなかったから、おなかもすいており、おいしくいただけた。柔道の指導者もしていたお父さんというのも影響しているのか、扱いがうまい。
楽しく過ごすことができたようです。
町工場何軒か営み 柔道 教えるお父さん
その日は泊まることになった。夜中だし、"危ないから"とお母さん。
リビングに布団を引いて、友人、妹さん、自分の三人で寝ることになった。Gameなどをして過ごした。
楽しい時間を過ごせたようだ。多くのことを話すことができた。その友人は、同じ小学校に通っており、同じSoccerクラブに所属。ふくよかながらも運動神経が良かったのも印象深い。泳ぎも割と上手。
相撲大会にも優勝し、スイカを分けてくれるような気前の良さも中学1年生ながらあるようだ。
お父さんが町工場を何軒か経営していたようだから、そういったことも影響したかもしれない。わからないところでもあるが、その様子からは、良い印象を持てていたのか、好んでお付き合いしていたようです。