鉄血宰相 オットー・フォン・ビスマルク 名言から考える帝王学

鉄血宰相

オットー・フォン・ビスマルク

 今回はビスマルクで考えてみることにしました。

 前回は皇帝ナポレオン、前々回は、Animation作品[コードギアス反逆のルルーシュ]ルルーシュの名言を受けて、自分の考えを述べていくスタイルで行ってきましたが、前回、前々回同様に行っていきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 では初めてまいりましょう!スタート!

 ビスマルクさんの名言で広く知られているのは、こちらになるのではないでしょうか。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

Ⅰ.愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ

Fools learn from experience. I prefer to learn from the experience of others.
愚者は自分の経験に学ぶと言う、私はむしろ他人の経験に学ぶのを好む。 

 もちろん、自分もそのように考えており、経験則からだけでは、どうしても視野が狭くなってしまうから、歴史上の出来事、日本史、世界史かもしれないが、学ぶことよって知ることもある。また、今あるものすべて、連綿と続く歴史から育まれた心の総体からimageされたもの。そういったものから表現、創造物として表されているだろうから、全く歴史を無視して存在することはできない。やはり、学ぶことは必要になる。とはいえ、自分の経験をおろそかにしていいのかとはならない。

 自分の経験も歴史の一部と考える。

 たとえば、西暦で記憶することによって、世界史と一致させることが常にできる。Globalismと一致させ続ける。記憶をさかのぼることによりimageされる。imageされるものというのは、都度の空間で見聞きしたものからimageされたものに他ならないが、より印象的なものほど、良くも悪くも、今の自分をかたちづくっているものに違いないだろうから、印象深いものほど国体という言い方もできる。imageが物質化するのならそうなる。

 話を経験から学ぶに戻すと、連綿と続く歴史から育まれた心の総体からimageされたものというものが、自分に合うかどうかはまた別。そういったものも経験から学ぶことによって、何かに生かすこともできる。歴史だけでなく、自分の経験も歴史の一部と考え両輪で進むことのほうが、より、賢者的であると言えるかもしれません。

 

オットー・エドゥアルト・レオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン(独: Otto Eduard Leopold von Bismarck-Schönhausen, 1865年からビスマルク=シェーンハウゼン伯爵〈独: Graf von Bismarck-Schönhausen〉,1871年からビスマルク侯爵〈独: Fürst von Bismarck〉, 1890年からラウエンブルク公爵〈独: Herzog zu Lauenburg〉、1815年4月1日 - 1898年7月30日)は、ドイツ(プロイセン及びドイツ帝国)の政治家[1]。

プロイセン王国首相(在職1862年 - 1890年)、北ドイツ連邦首相(在職1867年 - 1871年)、ドイツ国首相(在職1871年 - 1890年)を歴任した。

ドイツ帝国の初代宰相を務めたドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相(独: Eiserne Kanzler)」の異名を持つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/オットー・フォン・ビスマルク

Ⅱ.法律はソーセージ過程は見ない方がいい

Laws are like sausages. It’s better not to see them being made.

法律はソーセージのようなものだ。 それらが作られているのを見ない方が良い。  

 何かのルールかもしれない。

 現行の形になるまでにも、試行錯誤のようなものを繰り返し、おそらく、何度も過ちのようなことを繰り返している。現行のルールによって、秩序が保たれているかもしれない。それに至るまでに、多くの犠牲が払われている様子をソーセージにたとえたかもしれない。どうしても、間違えてしまうようで、正しさというもの。現行のルールというもののたださしさも、関係性の中で影響しあうことによって、変化を見せる。

 構成員の心の総体からimageされたもの。そういったものが形となって表れているものになるが、影響しあう中で、正しさにも変化がみられ、現行のルールというものにも誤りがある可能性もあるようです。正しさの話になるが、無関係にもかかわらず、犠牲になったものも多く存在するようで、その様子もソーセージに例えているかもしれない。いずれにしても、今現在あるもの。表現、創造物かも知れないが、日本の国柄から見て、一致しているものなのか。影響しあう中で正しさというものも変化を見せるが、その様子というものが、果たして、日本の国柄と一致するものなのか。

 民主主義の話かもしれないが、多くの得票を稼いだからと必ずしも、その結果が絶対と思うのでなく、そういうものと結果は結果として受け止め、ほかの可能性を探るのも必要かもしれない。民主主義の結果というものから、現行のルールというものも決まるかもしれないが、必ずしも正しいものとはならないだろうから、可能性を探るのも必要になるかもしれない。

Ⅲ.政治とは可能性の芸術あり関係性の科学

Politics is the art of the possible,the science of the relative.
政治とは可能性の芸術であり、関係性の科学である。 

 正しさの話になるかもしれないが、関係性の中で決まってしまうから、必ずしも決まった型というものがなく、常に変化を見るかもしれない。関係性の中で影響しあうことによって変化を見せるのが正しさならば、可能性というものも探っていく必要があるかもしれない。政治の話だけではないかも知れないが、時代によっても変化見せるだろうし、常に可能性を探る必要がある。そういったことを表現しているものと見られるが、憲法改正の話であるかもしれない。日本単独で決まることでもない。対峙する国。国体と言えるかもしれないが、影響しあう中で、構成するものの心にも変化がみられる。都度見ったものに現行のルールを変更する必要もあるが、たとえば、Globalismからどれを選択することになるのか。また、どの国と向き合うことにするのか。国体として選択するかというものも、常に可能性として探る必要があるし、それまでとは違った変化を日本にもたらすかもしれない。その様子を見て、政治とは可能性の芸術であり、関係性の科学と言っているかもしれません。

十Ⅰ×Ⅰ 
[宇宙]時間      /空間  
[日本]多様性 M:ⅥⅦ /SS 普遍性[世界] 
         十 一致したところ国体

[国体] M:ⅥⅦⅠ  ×  Ⅰ SS [鏡] 

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Ⅳ.世界を騙したいのであれば、真実を話せ

When you want to fool the world, tell the truth.
世界を騙したいのであれば真実を話せ。 

 マイノリティほど、真実を話したほうがいい。真実を言い続ける。本当のことを包み隠さず言い続ける。裏表も必要ない。真正面から向き合う。なぜ、マイノリティほど行うべきなのか。

 マイノリティほど、全方位から見られやすく、隠す必要もない。何かを隠すために嘘をつくと何のためかとなる。もちろん、自分のためとなるが、それがまるで良くない。たとえ、失敗したとしても、しっかり報告したほうが心象もいい。

 見ようによって、いわゆる三枚舌外交にも見える。八方美人という言い方もできるかもしれないが、どの相手に向き合ったとしても相手なりに、コミュニケーションを図ることになるが、必ずしも対象となった相手というものは、自分に良い印象を持つとは限らない。周りから見たら、そう見えなかったかもしれないが、対峙した相手というものも、どういうわけか、良くない印象を持ち、良くない噂話を吹聴する可能性もある。もちろん、すべてではないが、そういったものも、良くない噂として広がっていく。もちろん、そうなるが、必ずしも、それがすべて、自分そのものを表しているものかどうかは違うから、いずれにせよ、どこで何をしていたとしても、真実を話し続けたほうがいい。繰り返し行われることにより、何が真実なのかわからなくなってしまう。マイノリティならではの話かもしれないが、だからこそ、真実を話したほうが良い。

Ⅴ.礼を欠いてはならない   文章は外交的に

Be polite; write diplomatically; even in a declaration of war one observes the rules of politeness.
礼を欠いてはならない。文章は外交的なものとすべきである。宣戦布告の際であっても礼儀は守るべきである。 

 世界を騙したいのであれば、真実を話せにも通じるかもしれないが、礼を欠いてしまうと、どのように吹聴されるかもわからないし、噂話をされてしまうかもわからない。マイノリティほどそうかもしれないから、礼は欠かないほうがいい。

 文章は外交的なものとすべきで、宣戦布告の際であっても礼儀は守るべきであるというものも、礼をかいたもので行ってしまうと、また、文章に残してしまうことにより、喧伝に使用されてしまうかもしれない。広く喧伝され、立場を不利にするかもしれない。ある程度の勝算があって、宣戦布告をしたにもかかわらず、宣戦布告の文章が礼を欠くことにより、喧伝。不利な立場となり、勝算が失われてしまうのならば、あまりにも軽率だし、準備して行っていたものも、文章の表現一つによって、台無しになることの愚かさを表現として表しているものになるかもしれません。

Ⅵ.政治は精密科学ではない いい加減さも

Politics is not an exact science.
政治は精密科学ではない。 

 政治だけではないかもしれないが、人が携わるものになるから、正確無比である必要がない。構成されるものというのは、もう少し、いい加減だし、たとえば、敵対するものもいるだろうから、正しさ、正解のようなものも分かりづらく、求めても仕方ない。影響しあう中で、常に変化を見せるだろうから、正確無比に状態をとらえるのも、やはり難しい。もう少し、いい加減なほうが、支持されるかもしれないし、構成するものに、沿ったものになるかもしれない。

 精密科学のようなもので、わかるようなものでないかもしれません。

Ⅶ.我々が歴史作るのであって書くのでない

The main thing is to make history not to write it.
肝心なのは、我々が歴史を作るのだ。書くのではない。 

 もちろん、そのように考えている。ただ、今現在の日本の状態というものにも問題があると見ており、国体にないことが理由になるようだ。B層問題、ポピュリズム政治、ジェンダーの問題。同調圧力が強い理由というものも、すべて、国体にないことが理由になっているとみられる。

[国体] 日本 M:ⅥⅦ / 資本主義 共産主義 民主主義 普遍性 Globalism SS 海外 [鏡] 

 たとえば、政治に携わることによって変化を促すことができるのかというとそれも難しい。組織に取り込まれることになるから、組織を守ることが優位になるかもしれない。やはり、変化を望むのは難しい。外部から求めるのが、最適解になりそう。その様子は歴史作ることでもあるかもしれないし、確かに書くことかもしれないが、何が目的のために必要か。国体化を目指すのであるのなら、やはり、外部から働きかける。それが書くことだとしても問題はないと考えているようです。

Ⅷ.政治の秘訣?露と良い平和条約を結ぶ事

God has a special providence for fools, drunkards, and the United States of America.
神は、アホと酔っ払いとアメリカに特別な恩寵をお与えなさった。 

The secret of politics? Make a good treaty with Russia.
政治の秘訣?ロシアと良い平和条約を結ぶことさ。 

 双方から受ける印象。[反米保守]のことを言っている印象を受ける。

 反米保守と聞くと一見、アメリカとケンカする様子に聞こえるが、そうではなく、互いに欧州を見ようといった前向きな提案になる。あまりに、日米見すぎたことによって、互いに良くないものになってしまったとみられる。国体化からも、はるか遠のいてしまったから、欧州志向、反米保守といった考え方も必要になってきたかもしれない。反米保守をすることによって、B層問題、ポピュリズム政治、ジェンダーの問題。同調圧力の軽減も期待される。

 国体化とはⅠ等国水準を指してのものとなるが、Globalismによって内外一致を試みることによって実現するものと見られる。普遍的なルールに基づいて行う。一人一人もそうなら、家、組織でも同様かもしれないが、普遍的なルールに基づき尊重される。1人1人、家や組織かも知れないが、そこには多種多様な文化、宗教かもしれないし、文武、文理かもしれない。ありとあらゆるものが存在しているかもしれないが、普遍的なルールに基づくのなら、成立する。国体で行うのなら成立する。 

 [パクスジャポニカ]などといった言葉もあるが、日本を中心とした極東アジア安定を指してのものになる。アメリカでなく、欧州、ロシアかも知れないが、向き合うことにより、現実化するかもしれない。B層問題、ポピュリズム政治、ジェンダーの問題。同調圧力の軽減も現実化も見るかもしれないが、あまりにもアメリカを見すぎたことによって、Localの心、文化のようなものがおろそかにされてた印象を受けており、脳内imageをLocalとするのなら、日本には1億のLocalがあると考えることもできる。

 本音をStraightに表現すること。imageにあるものを表現として表す。できる限り、皆さんで行うことにより、Localの文化を育むことにもつながるし、そういった土壌を醸成することにもつながる。また、多種多様な心、文化を許すような心を育む作用も及ぼすと思われ、同調圧力の軽減にもなれば、ポピュリズム政治、B層問題のclear、ジェンダーの問題もclearを見るかもしれないし、Localの文化も育まれているだろうから、地方創生の観点からも、欧州志向というものは、良い考えになると思われる。

 [パクスジャポニカ] 極東アジア安定のためにも貢献するかもしれない。

Ⅸ.強い者に食い殺されるのは弱い者の宿命

It is the destiny of the weak to be devoured by the strong.
強い者に食い殺されるのは弱い者の宿命だ。 

 弱肉強食の話をしているようです。明治維新以降の歴史の授業で頻繁に使用される言葉になるようです。それまで、徳川幕藩体制下にあった日本はとても封建的で、士農工商えたひにんといった身分制度もあった。とても、その様子からは、平等自由といった様子も見られず、好ましく映らなかったか、欧米諸国は開国を迫った。先進的な技術を前に、必要性に迫られ、門戸を開くことになる。以降、キリスト教のものの考え方、技術を導入。自分のものとしつつ、殖産興業富国強兵を試みることになった。橋渡し役として機能したのが、新渡戸稲造[武士道]になるでしょうか。国外には、日本を知ってもらうため。国内向けには、武士道を通してキリスト教のものの考え方を普及させていく。双方一致を見たところに交渉の場があると考えたようだ。日露戦争というものもあったが、イギリスから艦船も購入。同盟も結ばれた。陸海とも善戦を繰り広げ、優位に戦争を展開することができた。仲介役として米セオドア・ルーズベルト大統領。武士道に感銘受けて、その役を担ったようだ。1905年ポーツマス条約受け、講和することになった。

 日本は日露戦争まで、良かったようですが、以降、かじ取りを間違えてしまったようです。当時も今現在同様MNの争いもあったようだ。権力闘争。

皇道派M  ×  統制派N 

 代理戦争かも知れない。イギリスとアメリカの代理戦争。Mイギリス、Nアメリカ。どうやらNアメリカが勝利し統制派が権力を握ることになった。MNで権力闘争を行うということは、国外に目を向けられていないことになる。国外がおろそかになり、国内ばかりに注力せざるを得なくなる。MN国体。その様子は、徳川幕藩体制下とそう変わらない。幕末かも知れないが、弱肉強食の時代にあって、とても無益な争いをしているようにも見える。結果、統制派が勝利することになったが、すでに日本は孤立無援化しており、立ち行かない状態にある。黄禍論、頼みの日英同盟も破棄。まるで立ち行かなくなってしまった。

 1941年(S16)12月8日真珠湾攻撃。

神の視座[国体]M:ⅥⅦ/SS 

ロシア       Sロシア革命 ソビエトS十共産コミンテルン
イギリス 日英同盟 S    同盟破棄 黄禍論                 |
日本   日露戦争 M[[英]皇道派M  / [米]統制派N]政争    |終戦  現在 自民党N
--------------------------Ⅹ-----------------------------------------------------------------------
米国Tルーズベルト  S         民主党S太平洋戦争   |終戦  現在 民主党S
                                 コミンテルンS十 共産主義 |   

[国体] 日本 M:ⅥⅦ / 資本主義 共産主義 民主主義 普遍性 Globalism SS 海外 [鏡] 

[太平洋戦争時の日本と近隣の国々の勢力図]

 一致がうまくいかないまま経過すると戦争になりやすく。正しさも大事だけれども、一致を心掛けてからでも、遅くない。

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Ⅹ.選挙の前   戦争の最中   狩りの後ほど…

People never lie so much as before an election, during a war, or after a hunt.
選挙の前と、戦争の最中と、狩りの後ほど人は嘘をつかないものだ。 

 死活問題の話でしょうか。

 Ⅸ[強い者に食い殺されるのは弱い者の宿命]の話でもあるかもしれない。本音の話かもしれないが、死活問題にかかわるような状況では、本心のようなものが現れる。そのような状況下から発せられたものだけを信じることができる。そのような場に身を置かないとわからないことというのは、多いかもしれない。争いごとのような場に身を置かないとわからない。現場でのことというのは、わからないのかもしれません。神の視座の話かもしれないが、多くの視点に立てることによって、表現する際もそうなら、何かを判断する際、映画でもいいし、人物でもよいが、多面的に見ることもできる。一人の人物とっても、多くのことから構成されており、多面的に見ることができるからこそ、寛容であれるかもしれない。

 前述画像にあるのは、[太平洋戦争時の日本と近隣の国々の勢力図]になるが、多くの視点。多くの国々の視点を持つことができることによって、より、太平洋戦争というものの真実に近づけるのかもしれない。難しいかもしれないが、知ることによって、imageを働かせることにより、近づけるのかもしれない。正解かはわからないが、近づけるかもしれないし、より良く表現できるのなら。文化と言うのなら、心の良し悪しで競いたい。見たままでなく、一つでもより良く表現したい。心で競いたい。

 そんなことも考えたりもする。

 

Ⅺ.兵士のうつろな目を覗いたなら考える…

Anyone who has ever looked into the glazed eyes of a soldier dying on the battlefield will think hard before starting a war.
戦場で死にそうな兵士のうつろな目を覗いたことがある人ならば皆、戦争を始める前に必死に考えている。 

 習慣Ⅶの延長線上に必ず戦争があるから、一致を心がける必要がある。

 習慣ⅦからGlobalismにあるものに心見て行けば、自然と国体化されているものと考えられる。 都度見合ったものを選択することになるが、一人一人もそうなら、組織、家国でも同様になるから、習慣Ⅶから努める必要があるし、内外とも判断を見誤らないだろうから、努めたいもの。

 構成員の心の総体に見合ったものを選択することになる。

 家でも組織も同様。国家かもしれないが、いずれにしても習慣Ⅶから行わないと内外とも判断を見誤ってしまう。Nすぎるほど、大きく見誤るだろうから、国体を目指す必要があるし、Globalism にある国々とも一致を見るだろうから、戦争の可能性も軽減されるとみられる。

 憲法改正など差し迫って必要ないかもしれない。それよりも国体化することが求められそう。憲法改正すら、国体にないとおぼつかない。憲法九条改正というけれども、国体にない日本の自衛隊を国軍とすることは難しく、普遍的なルールに基づいて行うのが戦争。

 今現在はN状態。

 太平洋戦争時もN状態と見られ、普遍性にない戦争。Ⅱ等国の戦争となる。戦争を学ぶのならⅠ等国からとなるし、そこで学んだものを日本に反映させることにより戦争が回避できるかもしれない。

 狙いどおり、平和がおとずれるかもしれない 。

[国体] 日本 M:ⅥⅦ / 資本主義 共産主義 民主主義 普遍性 Globalism SS 海外 [鏡] 

Ⅻ.猟犬はエサをくれる人間に従う 忠犬は?

Hounds follow those who feed them.
猟犬はエサをくれる人間に従う。 

 もちろん、そうなる。猟犬はそのようなものになるが、代わりはいくらでもいるものになる。エサをくれる人間に従う猟犬ならば、代わりはいくらでもいる。たとえば、忠犬ならばどうか。

 ハチ公ではないが、そういった忠犬ならばどうか。代わりはいくらでもいるだろうか。そんなことも考えたりもする。