2011年 三陸沖地震3月9日11時45分 東日本大震災3月11日14時46分 街道,日暮里・舎人ライナー高架,飛行機雲 "ケムトレイル" の網の目

2011 3/9 3/11

Ⅰ.三陸沖地震 3月9日11時45分頃

 三陸沖地震が発生したころ、足立区にあるマクドナルドで遅い朝食をとっていたようです。その日は同居していたやつの付き添いで日暮里・舎人ライナー高野駅歩いてすぐのところにあるマックに立ち寄ることにした。

 日暮里・舎人ライナーはモノレールとなっており、高架上を行き来することになる。高架下は街道医なっていた。高架を右上に見ながら、マックに立ち寄るために街道を行くと、驚くべきものを目にすることになった。

私の黒革の手帳2011になります(*'ω'*) 

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街道  日暮里・舎人ライナー高架  飛行機雲

 南方からまっすぐ北に向かって飛行機雲。

 低空のものとなっており、異様な光景。のちに、地震発生。暗示めいており、うすら寒い思いにさせられた。ちょうどAdidasの三本ラインと言えばわかりやすいか。街道、日暮里・舎人ライナー高架、飛行機雲が並行するように南から北へまっすぐ伸びている。

 異様な光景を目の当たりにした、2011年3月9日になった。まだ、2日後に、東日本大震災が発生するとは、思いもしなかった。

 よくある日常を過ごしていた。

 

三陸沖地震(さんりくおきじしん)は、2011年(平成23年)3月9日11時45分頃(JST)に三陸沖を震源として発生したM7.3 (Mw7.3[5]) の地震。

青森県から福島県の太平洋沿岸に津波注意報が発表され、大船渡で55 cm[2]の津波を観測した。2日後の3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 (Mw9.0) の前震と考えられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/三陸沖地震_(2011年3月)

Ⅱ.東日本大震災3月11日14時46分

横浜Stadium 対東京YakultSwallows OP戦

 東日本大震災2011年(平成23年)3月11日14時46分に発生することになったが、当時、横浜Stadiumで野球観戦を行っていました。対東京ヤクルトとのオープン戦。当日は冷え込み、野球観戦には適していなかったようですね。お酒を飲みながら見ることになったようです。しばらく眺めていると緊急地震速報と揺れ。大きく、ゆっくり揺れたようですね。American footballにも対応できるように内野席の一部が可動式となっており、グラウンドを長方形に確保できた。今現在は、エキサイティングシート増設のため、可動することはないが、当時はまだなく、可動。揺れをさらに増大させる結果に。内野席一塁側となるけれども、外野席レフト側からバックスクリーンかけて目をやると、雑居ビルが見て取れる。どれも、車のワイパーの揺れている。その様子が滑稽で緊張感はなかったようです。背後にY字の照明があることから、こちらに気を留めるようにした。破損しガラス片でも降ってきたらたまったものでない。背後に目をやると、Y字の照明がぐにゃぐにゃと捻じ曲がるように揺れている。さすがに恐怖を覚えた。また、可動式の席もより揺れを増大させていたかもしれない。アトラクションのフライングカーペットのような作用をしたかもしれない。揺れがやむのを待って、グラウンドに通されることになった。試合は中止。グラウンドが開放され、バックスクリーンには東日本大震災の様子が映し出されている。

 恐ろしい…

 

 

 話を当時暮らしていた品川某所にある、集合住宅に帰宅してからまで進めると、自宅は思ったほど被害はない様子が確認でき、ほっとしたことも思い出される。文庫本が一冊床に落ちていたくらい。その程度の軽微なもの。思ったほどでもなかったので安心して、のんびり過ごす。テレビでは、東日本大震災の様子が映し出されており、津波で多くの死傷者が出ていることもimageされ、恐ろしい思いにもなった。当時、断薬を始めており、入眠することが難しいころでもあった。なかなか寝付けず、そのまま、朝になることもざら。断薬を始めたころと東日本大震災がかぶってしまったのもしんどかったようです。

こちらケムトレイル散布の様子 

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"ケムトレイル"  の網の目は何を意味したか

 何とか睡眠をとることもできた。仮眠程度ではあるが、眠れないよりはマシ。ゴミを捨てに集合住宅の皆さんが捨てに行く場所。一度まとめてから、廃掃業者の皆さんにもっていってもらうことになるが、ごみをまとめる場所に、いつものように捨てに行くことにした。集合住宅の玄関から出ると異様な光景が空一面に広がっていることに気づかされた。飛行機雲なのかわからないが網の目のような様子。異様な光景。不気味に思ったか、小走りにゴミを捨てに行き、急いで、自宅に戻ることにした…

 

東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、英: Great East Japan earthquake)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害(加えて長野県北部地震を含む場合もある)およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である[1][2]。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。

東日本各地での大きな揺れや[3]、大津波、火災などにより、東北地方を中心に12都道府県で18,425人の死者・行方不明者が発生した(震災関連死を除く)[4]。これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災(死者・行方不明者推定10万5000人)に次ぐ2番目の規模の被害となった。スマートフォンなどの普及で数々の映像や写真が克明に記録され、沿岸部の街を津波が襲来し破壊し尽くす様子や、福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生は、大きな衝撃を与えた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災