Ⅲ 三色旗 : Tricolor 八百万の神々 自然現象など信仰や畏怖の対象 神の国発言問題 森喜朗総理(当時) [天皇を中心とした神の国]
Ⅲ
Ⅰ.三色旗:Tricolor
習慣Ⅶから心は育まれる。
育まれた心から、対象となるものを判断することになるだろうから、習慣から良い心をはぐくむ必要があるし、そのためのなにかを考えていく必要もありそうです。
“森の宗教・砂漠の宗教”と言ったいい方もできるかもしれません。
育まれる環境によって、人の心にも変化が見られる。
砂漠のような、過酷な条件下で育まれる心は、やはり、厳しいものになるだろうし、自然豊かな、森の宗教のような心は、自然と寛容なものになる。
なのだとして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教のような心は、自然と厳しいものになるだろう。
もちろん、水に流すなどといった概念などあるはずもない。
三色旗(さんしょくき)とは、三色で構成された旗のこと。トリコロール(伊: tricolore、仏: tricolore、英: Tricolor)とも呼ばれる。
トリコロールといった場合、最も著名なものはフランスの国旗であるが、最も古い三色旗は、16世紀から用いられているオランダの国旗であり、フランス国旗はこれを模したものである。歴史的経緯から、三色旗は民主国家の象徴ともされる。変形として、三色旗の中央に紋章を入れているものもある。
八百万の神々 自然現象など信仰 畏怖の対象
引用からも分かるように神道における神とは、自然現象などの信仰や畏怖の対象とある。
自然界になるものすべて、なにかがあると思って向き合っていることを示している。今あるものすべて、誰かの心が形となって表れており、たとえ、ものだったとしても、心が現れているものなのだから、粗末に扱わないという心も良い心になる。習慣から、よい心をはぐくんでいきたいもの。
宗教に寛容と考えてよく争いごとは避けたい
八百万の神々とあるが、引用にもあるように八百万とは、数が多いことのたとえになる。自然界にあるもの、または無機物だったとしても、心が宿っていると思い向き合っている様子を表した考え方になる。八百万の神々の考え方というものを表すとそのようになるかもしれない。
もちろん、自然界にあるものすべてに心を見るのだから、宗教に関しても寛容と考えてよく、あまり目くじらを立てずに上手にお付き合いできるとうれしいです。よろしくお願いします。
神道における神(かみ)とは、自然現象などの信仰や畏怖の対象である。
「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言う場合の「八百万」(やおよろず)は、数が多いことの例えである。
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Ⅱ.神の国発言問題
森喜朗総理(当時) “天皇を中心とした神の国”
森喜朗さんの神の国発言について考えることもあるようです。
Wikipediaを参照してみたところ、2000年のものになるようです。当時も状態が悪く、上手に物事に向き合うことができずにいましたが、それでも、楽しく過ごせるようにと心掛けるようにしておりました。
2003年3月それまでお世話になっていた目黒区下目黒から、目黒区五本木に越してくることになりました。当時も状態は良くなく、低迷したまま。なんとか過ごしていました。
2006年8月末自殺未遂をしてしまう。薬物を大量服用してしまい、緊急搬送されたようです。搬送先は品川区にある昭和大学病院。胃洗浄を施され一命はとりとめたようです…
そんなこともあったようです。今現在は、回復傾向にあって、多くのことがイメージされるようになりました。また、今まで感じられなかったようなことまで気づかされたりもするようです。
振り返る中でイメージされるものの多くは、どうにもできなかったことばかりで、残念に思うようです。
神の国発言(かみのくにはつげん)は、2000年(平成12年)5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。
主権在民とは、矛盾しない。戦前は天皇と結びつけて戦争をした。そこで主権在民・信教の自由をうたい、侵略戦争を放棄するということを国是とした。(天皇中心は)日本の悠久の歴史と伝統文化と言う意味で申し上げており、戦後の主権在民と何ら矛盾しない。
どうして撤回しなければいけないのか。話の内容は、もっと命を大事にしよう。生命は神様がくれたもの。その神は天照大神でも、日蓮でも、おしゃか様でも、イエス・キリストでもよい。自分の信ずる神仏でよい。
— 『WiLL』2007年9月[1]
「心と表現は一致」 信仰より良い心育む必要
なにを信仰していたとしても、良いと考えており、より良い心を育み受け継いでいくことを習慣の中から出来るのか、どうなのかという事が、問題になっていくのだろう。
時間と空間の交わるところに自分がおり、つど属した空間で見聞きしたものから、心が育まれていく。時間の経過というものは、歴史の積み重ねに他ならないだろうから、自分も一部と考え、育み受け継いでいく。繰り返し行うことで、自然と国体というものもより良いものに変化していくだろうと考えられる。
つど属した空間で見聞きするものは、過去すべての人々の心が形として現れたさまと考えられるだろうから、それは、すべて国体に違いない。習慣の中で、そのように意識して過ごすことが出来るのなら、自然と物事に対する向き合い方も変化が見られる。
それを"八百万の神々”といっても差し支えない。
十Ⅰ×Ⅰ
[宇宙]時間 /空間
[日本]多様性 M:ⅥⅦ /SS 普遍性[世界]
十 一致したところ国体
[国体] M:ⅥⅦ / SS [鏡]