五族協和 [ 和 (日)・韓・満・蒙・漢 (支) ] ロシアの南下政策念頭 反米保守が最適解 [日英同盟]機能するほど栄え、失い滅ぶ歴史

五族協和

Ⅰ.[和(日)・韓・満・蒙・漢(支)]

 五族協和。

 下記引用にもあるように、満州国の民族政策の標語で「和(日)・韓・満・蒙・漢(支)」の五民族が協調して暮らせる国を目指す様子を[五族協和]という言葉であらわしたようだ。

 当時、戦火で追われた皆さんが多く、行き場を失っていたようだ。また、ソビエトは南下を常にうかがっており、日本にとっても常に脅威になっていたようだ。明治維新以降、常にソビエト[ロシア]の南下政策を念頭に置いて国家運営をしていたようです。

 

五族協和(ごぞくきょうわ、英語: Five Races Under One Union)とは、満州国の民族政策の標語で「和(日)・韓・満・蒙・漢(支)」の五民族が協調して暮らせる国を目指した。

清朝の後期から中華民国の初期にかけて使われた民族政策のスローガン「五族共和」に倣ったものであるが、こちらの「五族」は「満・蒙・回・蔵・漢」を指しており構成が異なる [1]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/五族協和_(満州国)

常にロシア[ソビエト]の南下政策が脅威

 現実的な判断と考えることが出来る。

 緩衝地帯としての役割もあったかもしれない。ソビエトの南下政策の前に、満州国があれば、さらに南下。朝鮮半島、日本列島まで脅威が及ばないと考えたかもしれない。

 また、日本は満州国の為に多額の資金を投入したようだ。重工業に力を入れたようだ。産業を起こさなければ、やがて立ち行かなくなるだろうから、何のための満州国かとなってしまう。満州国だけで、やっていけるくらいにいなれば、日本も安泰ではないかと考えたかもしれない。

 

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南満州鉄道[満鉄]  / 徹マン [徹夜で麻雀]

 重工業に力を入れ、産業を起こす必要もあったが、そのための資材、人員を運搬する手段も必要になる。鉄道。南満州鉄道になるようだ。下記画像からも確認できるが、北方にはソビエト。西には中国。東は日本海。南には朝鮮半島。

 緩衝地帯として期待されたかもしれない。重工業を起こし、満州国だけで独立して機能すれば、朝鮮半島、日本列島も欧米列強、共産主義の脅威にも打ち勝てると考えたかもしれない。

 

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南満州鉄道(みなみまんしゅうてつどう、正式な表記は「南満洲鉄道」)は、日露戦争終結後、1905年(明治38年)に締結されたポーツマス条約によって、ロシア帝国から大日本帝国に譲渡された東清鉄道南満州支線(長春・旅順間鉄道)のこと[1]。また、支線を含む鉄道事業および付属事業を経営する目的で、1906年(明治39年)に設立された特殊会社、南満洲鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう、旧字体:南滿洲鐵道󠄁株式會社[注釈 1][2]、英語: The South Manchuria Railway Co., Ltd.)を指す[1]。

南満州において鉄道運輸業を営み、日本の満洲経略における重要拠点となった[1]。略称は満鉄(まんてつ、滿鐵)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/南満州鉄道

M皇道派対ソ N統制派対中 [ロシア念頭]

WWⅡの様子 十枚舌外交必要 

米 英 仏 Ⅰ×ⅠⅠ×Ⅰソ[左]コミンテルン

          一

           中Ⅰ  ×  ⅠⅠ  ×  Ⅰ米 民主党[左]コミンテルン
          国共      一          共和党[右]

                 × × × 

                 一 一 一
                 英 仏 蘭 

 ソビエトを討つのか、それともシナを討つのかで、M皇道派、N統制派の双方が争うことになった。

 結果、統制派が勝利。シナを討つことに専念することになった。どうやら、この判断が大きく間違えており、いくら、シナの軍隊を破っても、次から次へと、新たな軍勢がやってきて、きりがない。日本軍は疲弊。どうやら、ソビエトから連合国側の兵器が次から次へと増援。いくら倒してもきりがない状態。日本軍は大きく疲弊。判断を誤った。やはり、ソビエトから討つべきだった。もし、この時に判断を誤って無ければ、共産主義が世界に蔓延することが無かったかもしれない。そんなことも言われているようだ。

[国体]Local L:ⅠⅡ/"一" 

ロシア       Sロシア革命 ソビエトS十共産コミンテルン
イギリス 日英同盟 S    同盟破棄 黄禍論                 |
日本   日露戦争 M[英]軍令部M  /  [米]参謀本部N政争  |終戦  現在 自民党N
-------------------------------------------------------------------------------------------------
米国Tルーズベルト  S   Fルーズベルト民主党S太平洋戦争  |終戦  現在 民主党S
                                 コミンテルンS十 共産主義 | 

ⅠAmerica ⅡBritain ⅢChina ⅣDutch                    輸出  Output  ←  Image 生産 [ハード]
[10]sea-lane  中東 インド洋 シンガポール 台湾 沖縄近海 SS:ⅣⅢ⇔"0"⇔ⅡⅠ:L1   [現実] 
"MASS"         U:ⅡⅠ/  SS:"00"  /ⅠⅡ:L  日米同盟                input   →    輸入     Japan
[10]Globalism 普遍性 民主主義 共産主義 資本主義         SS:ⅨⅧ⇔"0"⇔ⅦⅥ:M1 [仮想] 
                                                            輸出 Output  ←  Image  生産 [ソフト]

 下記画像は、第二次世界大戦時の日本と近隣の国々の様子を表したもの。大日本帝国は孤立無援化していることがわかる。このような事態を招かないためにも、習慣Ⅶから、良い1"0"表す、コミュニケーション。外交。 

[Ⅱ帝]青黄緑選択 Suntory烏[中]龍[日]茶[英]  

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Ⅱ.反米保守 欧州志向 国益叶う

明治元年 37年後の1905年日露戦争勝利

 1868年明治元年。

 37年後の1905年日露戦争の講和条約を結ぶことになった。不平等条約も改正。ようやく、独立を勝ち取ることになった。

 明治維新以降、ロシアの南下政策が常に脅威になっていたようだ。そこで、朝鮮半島に目を付けた。福沢諭吉などは、朝鮮から来た独立派の金玉均を支援。

 しばらく面倒も見ていたが、クーデター失敗。一族郎党、清国の軍勢にとらえられ、皆殺しにあってしまう。その様子にひどく絶望したか、脱亜論が出された。清国も朝鮮半島の傀儡化を狙っており、独立を許すわけにはいかなかったようだ。清国と日本は対立することになった。

 1894年日清戦争勃発。

 

1905年日清戦争勝利朝鮮半島 独立確保

 清国はドイツから艦船を購入。

 定遠、鎮遠と名付けられ、"東洋一の堅艦"とも呼ばれたようだ。

 清国自慢の船も、訓練不足なのか、思ったほどの活躍もなく、日本の前に敗れてしまったようだ。下関条約を経て、講和。朝鮮半島の独立を確保することが出来たようだ。ひとまず、ロシアの脅威を退けることが出来た

 やはり、南下の意図を示すロシア。不凍港が欲しい。年中凍らない港は太平洋側にはウラジオストクくらいしかなく、どうしても南に港が欲しい。国家存続の為。

 また、イギリスも東洋進出を明らかにしており、利害が一致したかもしれない。1902年日英同盟締結。敷島型戦艦 敷島、朝日、初瀬、三笠をイギリスから購入。対ロシアの戦争に備えた。

清の最大領域(1820年) 

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清(しん)、または大清帝国(だいしんていこく、英語: Qing Dinasty)は1616年に満洲に建国され、1644年から1912年まで中国本土とモンゴル高原を支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。

満洲人のアイシンギョロ氏(愛新覚羅氏)が建てた征服王朝で、満洲語でᡩᠠᡳ᠌ᠴᡳᠩ
ᡤᡠᡵᡠᠨ(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(拼音: Dàqīng、カタカナ転写:ダァチン)と号した。清朝、清国、清王朝、大清国、大清、大清帝国ともいう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/

[日英同盟]機能するほど栄え、失い滅ぶ

 1904年日露戦争勃発。

 陸軍も大いに奮闘。激戦を繰り広げ、何とか勝利をものにしていて状態。

 途中戦費が足らくなるも、なかなか、貸してくれるものもおらず大いに困る。宣伝が下手だったようで、戦争は有利に運んでいるものも、なぜだか、日本が不利と伝わっている様子。イギリスにいた、日銀副総裁高橋是清は、苦心したようですが、何とか貸してくれるものを見つけることが出来た。ユダヤ人銀行家。ただ、条件があったようだ。シベリアにいる、ユダヤ人を助けてやってほしいとのこと。快諾し借りることが出来た。戦争も何とか継続。

 大陸での戦争になるから、補給が必要になる。平坦。日本海からとなるが、ここを絶たれると立ち行かなくなる。生命線。シーレーンという言い方もできるかもしれない。黒海から、ロシアバルチック艦隊が、日本海を目指しているとの報告が入った。

 東郷平八郎率いる連合艦隊は、日本海で展開するも、なかなか現れない。参謀の秋山真之も頭を悩ました。

 対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡か…

 

イギリスの妨害により  日本海海戦勝利

 ウラジオストクを目指すことになるから、どこかのルートを通過することになる。

 撃ち漏らすわけにはいかない。ウラジオストック寄港されてしまうと日本の負けが確定する。どうしても打ち漏らすわけにいかない。多いに秋山を悩ませた。

 連合艦隊司令長官の判断は、対馬海峡。

 よくよく、考えてみると想定されているものより、送れているのならば、近道したいのが人情。また、行く先々で、同盟国のイギリスがバルチック艦隊の妨害行為を働いていてくれ、何とか、たどり着くことが出来た様子だったようだ。

 連合艦隊は準備万端。訓練も行き届いおり、一方的な勝負に終わったのだった。

 日本海海戦。

 ポーツマス条約を経て講和。米セオドアルーズベルト大統領が仲介役も担ってくれたようだ。

 

満州国[五族協和]  "国共内戦ロシア革命" 

 ロシアに勝利するも、思うほどの賠償もなく、日本国内では、不平不満を持つものも多くおり、臥薪嘗胆の思いだったにもかかわらず、何もない事に、憤りがあったようだ。各地で暴動も発生。また、ロシアでは1917年ロシア革命も発生。

 共産化してしまった。

 日本国内、地方で疲弊している皆さんと結びついたようだ。コミンテルンの暗躍。

 清国も1912年瓦解。国内は大いに乱れた。中国共産党、国民党の内戦も続いた。

 ソビエトの南下政策の脅威。シナで続いた内乱の為行き場を失ったものが安心して暮らせる国を建国したいといった願いだったかもしれない。

 五族協和 [ 和 (日)・韓・満・蒙・漢 (支) ]

 満州国建国となったようだ。

 

満州国(まんしゅうこく、旧字体:滿洲國、拼音: Mǎnzhōu Guó)は、1932年(大同元年[注釈 5])から1945年(康徳12年)の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。日本の関東軍が占領した日本の植民地であり[1]、傀儡国家[2]であった。 大日本帝国および中華民国、ソビエト社会主義共和国連邦、モンゴル人民共和国、蒙古聯合自治政府(後に蒙古自治邦政府と改称)と国境を接していた。

「洲」が常用漢字でないため、日本の教育用図書を含め一般的に「満州国」の表記が使われるが、日本の法令や一部の文献では「満洲国」が用いられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/満州国