女性に贈ることば365日 / 池田大作 賢君はね唄と笑いが好き! しばらくの間創価学会にします 大作先生になります!
名には、願いや想いが込められている。
ひとの願いや想いそのものが名となり、命が吹き込まれる。
それは、心そのものといえる。叶うことのなかった、願いや想いが名となり形をなしていくのだろう。願いや想いが、その言葉をかり心と身体となっている。名を口にする事で、音となり、その響きで、優しい気持ちになれたり、力強い気持ちにもなれるのだろう。
人は人。馬に人の心があるはずもなく、人にしか人の心はない。馬を人に見立てているわけでもなく、心あるひとが馬に人の心を見、願いや思いを名という形として借りているだけ。
心あるひとが、馬に人の心を見ている。それは、心あるひとにしか出来るはずもなく、ないところに有るものとし、人の心を見ることができるのだろう。イメージする事とは、そういった作業と言えるのだろうし、いわゆる“馬と会話する事ができる”というのも、競走馬に人の心を見ているだけ。
想像できるから、言葉を発することが出来ないものの声を代弁することも出来る。想像力と創造力は対。
ないところに何かをみる事で、言葉を連ねていくこともできる。
子育てで必要とされる「代弁する力」とは、正しくこれか。
言葉を上手に表現することのできない、幼児などの心を察し、イメージすることで代わりに表現する。イメージすることで、望んでいるものを反映させることも出来る。
言葉であれ、文字であれ、ジェスチャーであれ。
馬と幼児が同じという話ではない。
心をみるという事を表現したまで。イメージする力が女性ほど必要という事を言葉で表現したまで。
想像力は女性ほど問われるのだろうし、問われるからこそ、本質的に表現する力は男性よりも長けているのだろうと考えている。言葉巧みなのは、女性なのだろうと考えている。また、表情や肌の色の変化、仕草などから読み解くのも女性の方が得意なのだそう。
「理」ではなく「情」で訴えかけることが得意なのは女性なのだろう。だからこそ、ネット上で活動することに向いているのは、男性ではなく、女性なのだろうと以前から考えていた。
馬に人の心をみることで、一頭一頭と痛みをともにできるはず。
10のうち1でも痛みをともにできるはずだ。イメージする力があるからこそ、痛みを感じることができる。10のうち1でも感じることができるから、思いとどまることができるのだ。
モノがこわれゆく様にも、痛みを感じることができるのだろうし、後悔や苦しみとしてともにしてゆく事もできるのだろう。