五・一五事件 育み続けた"i”を青年将校に投影も、同じ“i”を有しておらず、殺害される犬養毅内閣総理大臣 "話せばわかる""問答無用”
五・一五事件(ごいちごじけん[1])は、1932年(昭和7年)5月15日に日本で起きた反乱事件。武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害した。
背景
大正時代に衆議院の第一党の党首が内閣総理大臣になるという「憲政の常道」が確立したことで当時の日本は議会制民主主義が根付き始めたが、一方では1929年(昭和4年)の世界恐慌に端を発した大不況により企業倒産が相次いで社会不安が増していた。犬養政権は金輸出再禁止などの不況対策を行うことを公約に1932年(昭和7年)2月の総選挙で大勝をおさめたが、一方で満州事変を黙認し、陸軍との関係も悪くなかった。
しかし、1930年(昭和5年)ロンドン海軍軍縮条約を締結した前総理若槻禮次郎に対し不満を持っていた海軍将校は若槻襲撃の機会を狙っていた。1931年(昭和6年)には関東軍の一部が中華民国北部で満州事変を引き起こしたが、政府はこれを収拾できず、かえって引きずられる形だった。
五・一五事件
"話せばわかる""問答無用”
おなじことがらを見聞きしたとしても、感じられ方、行動や発言としてアウトプットされるものには、人それぞれ差異があり、それは、持ち合わせたものかも知れないし、幼少期から見聞きしたものの差かも知れない。
つど属した空間から受けた、物事から“i”が育まれる。そこで、体験したこと、体感したことなどを通して、"i”が育まれる。
「犬養毅」 92 | 19 「青年将校」
imageされるもの "i”を投影、表現創造物としてあらわす事、双方はつねに一致している事から、良い“i”からは、良い“i”が表現されるだろうから、より良いimageを育むための環境を育む必要があるのだろう。
育み続けたiを、見えるかたちに一致
育み続けたiを投影 「一致は見ない」
"話せばわかる"というも同様。青年将校が育まれた“i” 犬養毅さんが育まれた"i”には差異があり、イメージにある“i”は、青年将校の心には、届かなかったという事になる。同じ心を有すものしか、見ることが出来ない“i”
そのようなことになりそう。
「時間×空間」から育まれる“i”
犬養 毅(いぬかい つよし[注釈 1]、1855年6月4日〈安政2年4月20日〉- 1932年〈昭和7年〉5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。
中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。
- 作者:半藤 一利
- 発売日: 2009/06/10
- メディア: 文庫