IT系の聖地に!? 五反田Valley 聖地巡礼 [東京マグニチュード8.0] GRAVITY DAZE 重力的眩暈 2006.8.27 / 2009.7.25
五反田Valley
IT系の聖地に!?[五反田バレー]
12年前の2009年は、色々あったようです。
隅田川花火大会当日7月25日、五反田で、飛び降り騒動。
東京メトロ南北線東大前駅にある、日医大に頻繁に通う。
リハビリのため、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅歩いて20分くらいのところにある、東京都リハビリテーション病院にも、通った様です。
シリコンバレー(英語: Silicon Valley)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部のサンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置しているサンタクララバレーおよびその周辺地域の名称。特定の一箇所を公的に指す地名ではなく、ある程度広い地域一帯の通称として使用される。
名称は、多数の半導体メーカー(半導体の主原料はケイ素、英: Silicon)が集まっていたこと、および地形(渓谷、英: Valley)に由来する。
この地域ではApple、インテル、ナショナル セミコンダクター、Google、Facebook、アプライド・マテリアルズ、Yahoo!、アドビ、シスコシステムズなどに代表されるソフトウェアやインターネット関連企業が多数生まれ、IT企業の一大拠点となっている。
SiliconValley中学Volleyball部朝練熊野神社[八咫烏]
都営浅草線改札前で口論になってしまう。
睡眠障害もあったか、睡眠不足が続いており、判断を誤ったかも知れないが、一睡もしないまま、花火大会に参加することになった。虫の居所が悪くなったか、言葉尻をとらえ、イヤなことを言い返してしまった。言い争いがとまらなくなってしまう。
頭にきたのか、そいつを置いて、ひとり帰宅することにした。やはり、置いてきてしまったことが気になったので、携帯になんどか電話するも出ない。
しばらくすると、電話がある。
“いたい...いたい...微生物..微生物...いたいいたい..”
2009年7月25日 微生物化学研究会 "カナマイシン"
タクシーを自宅前の中原街道でつかまえると運転手の男性に説明してみた。
地図を広げ、確認している。どうやら、場所が分かったらしい。向かってもらうことにした。先日、五反田にうかがった際、辺りを散策してみたところ、高層マンションが立ち並んでおり、見る影もない。
...現場に着いたらしい。なにかの研究施設であるらしい。駐車場の辺りを見渡してみると、靴がそろえて置いてある。
“ん?”
近づいて、確認してみると、金網フェンスの向こう側が崖になっている事が分かった。乗り出して、のぞいてみると、そいつが倒れ込んでいる事が見てとれた。
公益財団法人微生物化学研究会(びせいぶつかがくけんきゅうかい、英: Microbial Chemistry Research Foundation)は、元厚生労働省文部科学省所管の生物系の研究所を擁する公益財団法人。
国産初の抗生物質カナマイシンの特許料をもとに、「疾病予防及び治療のための微生物及び微生物生産物の調査・研究」を主要な事業として、1958年東京都品川区上大崎に設立された。
1962年同所に微生物化学研究所(英: Institute of Microbial Chemistry、通称: 微化研)を開所。梅澤濱夫博士を中心に我が国の抗生物質研究を長くリードしてきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/微生物化学研究会
[自殺]飛び降り救急車呼ぶ…応急処置後入院[日医大]
高さもあったので、崖下に降りる術を探すために辺りを見渡すと、左手が畑のようになっており、そちら側からまわりこめば、倒れ込んでいる場所にたどり着けそうなことも分かった。向かうことにした。
なんとか、そいつのもとまでたどり着くことが出来た。
そいつに語りけてみた。
どうも、飛び降りようとしたらしいが、怖くなってフェンスにしがみつき、力尽き落ちたらしい。
辛そうにしている。
救急車を呼ぶことにした。
しばらくすると、パトカーと救急車がやってきた。事情を説明。近くの病院に緊急搬送されることになった。警察官にも説明を続けた。ひとまず、パトカーに乗り込み、病院へ向かうことにした...
Animation[東京マグニチュード8.0]
10年前の作品という事になる。
2009年は身の回りでも色々なことがあった。五反田での飛び降り騒動、それに伴い、鐘ヶ淵にある東京都リハビリテーション病院にもお世話になりました。とくにすることもなかったし、家にこもっていても仕方ないので、時間を見つけては通うようにしました。夜遅くまで飲酒していたとしても、あいさつくらいはしようかと立ちよったことも思いだされます。看護師さんも良くしてくれましたし、他の患者さんもなにかと良くしてくれました。
院内は、“回”の字のような形状になっており、リハビリのためと想われます。
クルクルとまわることにより院内であったとしても、リハビリがとどこおりなく行える機能的なつくりと言えそうです。
ほかの患者さんから興味深い話をいくつか聞くことが出来ました。尾崎豊さんの話もその1つだったかと記憶しております。少しづつ話すことが出来たなら、良いですね。
『東京マグニチュード8.0』(とうきょうマグニチュードハチテンゼロ)は、2009年7月10日から9月18日までフジテレビのノイタミナ枠で放送された日本のテレビアニメである。キャッチコピーは、家族に会いたい、と初めて思った。
ノイタミナ枠では前作『東のエデン』に次いで2作目となるオリジナルストーリーアニメであり、共同制作の1社であるキネマシトラスにとって初の30分枠かつ民放で放送された作品でもある。
防災、危機管理の視点も持ち合わせている内容で、巨大地震が発生し大きな被害を受けた東京を舞台に、一人の少女を中心とした被災者の目線で物語が進んでいく。第1話では、ノイタミナ作品の初回平均視聴率としては最高の5.8%を記録した[1]。
その後は防災イベントやBSフジなどの一部放送局で総集編が断続的に公開され、CS放送ではシリーズ全話が再放送されている。2010年5月にはTV版を元に脚色を加えた小説が発売された。
平成21年度(第13回)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門において優秀賞を受賞[2]。
1話『お台場、沈む』 放送 7月10日
2009年12月24日にはフジファブリック志村正彦さんもなくなっており、印象深い年になりました。
ほかにも、中川昭一さんもその年の10月3日になくなっており、回復傾向にある中で、イメージされやすく記憶の整理がしやすくなったのでしょうか、あれから10年経ちますが、振り返ってみると、もう少しうまく出来なかったかと悔しい想いになってしまいます。
そんなことを考えています
2話『壊れる、世界』 放送 7月17日
2006年8月目黒区五本木、自殺未遂騒動。
退院後に母に説明を求めると、自殺を企てたことの詳細が分かってきた。入院中もかかとの痛みが気になっており、どうした事かと思っていましたが、どうも、飛び降りたことによる、ひびであることが分かった。
オーバードースにより、品川区にある某大学病院に搬送されたらしいことも分かった。騒動に伴い、救急車、消防車、パトカーも駆けつけたらしいが、それもまいて得意げになっていたそう。お隣さんの屋根の上をバタバタとしていたらしく、通報。
驚いて、飛び降りた、そんなところになるのだろうか。記憶を失う前の、院内でのことも分かってきた。こちらに関しては、たびたび、話しているので割愛するとして、良くないことをされてしまったのもイメージされる。
2006年9月以降の記憶はしっかりしており、それ以前の2年弱を失ってしまったという事になるが、院内で説明されていたものと違っており、看護師見習いの女性が用意してくれた冊子の説明のように、なってないので、事故という事になるでしょうか。
病院内で看護師見習いの女性が作ってくれたもの。
3話『燃える、橋』 放送 7月24日
2009年隅田川花火大会当時7月25日五反田。飛び降り騒動。
都営浅草線五反田駅改札前での口論が引き金になってしまう。ただ、これも、自分だけの問題とも想っていなければ、そいつの問題でもない。つねに良くないことに巻き込まれ続け、疑心暗鬼のなかで起きてしまった事故といえば事故。
引き金が自分の発言というだけで、これも、ひとによっては判断が分かれる。そいつにとってショックなだけで、ひとによっては違う行動をとることもあるだろうから、10年経ったが、発言そのものが問題とも想ってもいない。ただ、そいつのご家族や親せきの皆様にご迷惑をおかけしてしまったことが悔やまれるし、ごあいさつが遅れているのも申し訳ない気持ちにあります。
どちらかと言うと問題なのは、院内での出来事という事になるのでしょう。この点は、都の施設でも指摘されており、治療法がどうもオカシイとのこと。
今後とも、これらの事を考えて行く必要があるように感じます。命をあつかう医療現場での事故ということになりますので、信用を失うこと、疑われてしまう事というのは、非常にマズい。
都の施設医師の説明とも一致していないことから、院内で起きてしまったことでの不振というものがトラウマにもなっており、その後の治療にも影響が出てしまいました。
その点も今後お話をしていく必要があるように想います。
4話『三人の、約束』 放送 7月31日
五反田駅近くにあるクリニックに、なんどが付き添いで通ったこともあった。2017年になるか。自衛隊中央病院から女性医官に来てもらい、カウンセリングもなんどか受けた。
そこでの説明でも、治療法について指摘されている。発達障害の診断結果についても説明がなされており、10分程度の問診のみでわかることはないとのこと。
どうも、発達障害ありきで話が進んでいたとイメージできるし、疑わしい。ストラテラの投与に関しても、問題視されており、“人体実験されているね”などと言っていたが冗談ではなくなってきました。
ADHD、発達障害をつくり出したいとの意図がなかったか。たとえば、自分を薬漬けにして何かを得ようとしていなかったか。
そんなことばかり考えています。
ベンゾジアゼピン系飲むな
お薬に関しても、問題視しており、服用するほど調子が悪くなるし、量が減るほど調子が上向いてくることも分かってきました。
この点も今後とも注視が必要になってきますが、経験則からもこの手の薬は飲まない方が良いとの判断になってしまいます。現状、服用しておらず、減薬でも相当苦労しましたが、時間をかけてようやく5年くらい前に飲まない状態までに出来ました。
減薬をはじめたのが2010年のころ。
5話『慟哭の、学び舎』 放送 8月7日
途中、2011年3月11日には東日本大震災などもあって、離脱作用とのコラボレーションがちょっとしたカオス。ひどく恐ろしい。横浜スタジアムでのオープン戦を観戦中に、被災。現地でホテルを予約していたのが不幸中の幸いか。
詳しくは下記リンク先にお任せするとして、当時、服用していたお薬のなかに、エビリファイというものがあり、たしかに太りにくいというのは良かったのですが、気分が乗らなくなり、落ち込みやすくなってしまう。考えもまとまりづらくなり、頭にあるイメージが表現として一致しづらくなってしまった。
吃音傾向になってしまったと言えそうです。
服用以前は、今ほどではないですが、おしゃべりだったはずだし、面白いキャラでもあったはず。エビリファイを服用以降はむっつりしがちになってしまったし、話すのもおっくうになってしまいました。
6話『見捨てる、選択』 放送 8月14日
この手の薬を服用するようになったのは、神奈川時代という事になるから、1995年以前。
駅近くにあるクリニックで処方されたものを服用してからなので、25年以上前になるのでしょうか。
服用しなくなってから5年は経ちますが、やはり、飲まない方が調子も良いし、イメージされたものが表現として、あらわしやすい事から、薬でどうにかするものではなく、落ち着いた環境を確保する事に重きを置いたほうが良さそうです。
ADHDや発達障害みたいなものも、同様のことなのだろうと考えられそうです。飲まないに越したことはないし、落ち着いた環境を確保する事の方が重要そう。
つねにまわりと合わないことによって、不調があらわれてしまった。
また、行く先々で良くないことが多くありました。学校でもそうなら、どこでもかしこでも、良くないことが散見されたし、上京以降は、よりそういった傾向が強まったように思われます。どうも、日本と合わないことが問題だったのではないかと考えており、自分はマイノリティだったのでしょうね。
つねに数量、物量に負け続けたと考えるのが自然だし、閉鎖病棟内で起きてしまったことも、イメージするとそういうことなのだろう。マジョリティによる魔女狩りと考えるのが自然。
日本に対する不信。
より外のモノになにかを見てしまうのは自然で当たり前のことになるのでしょう。
そういった指摘は、2000年以前からされており、もう亡くなってしまったが、大倉山で一人暮らしをしていた友人宅へ遊びに行った際、“日本のものを好むのはやめろ!”
そのように言われたことがあり、当時、ボンヤリしていたこともあって、何のことを言っているか理解しがたかったが、ようやくわかってきました。
さよなら日本。
7話『夏の夕暮れ』 放送 8月21日
ヒトモノコトに対する信頼度はひどく低い。日本に対する本音。
幼少期から、ステルスマーケティング、ガスライティング、イメージ戦略にさらされていたとイメージできることから、45年失ってしまったという想いになってしまうのだし、だからこそ、日本のものを良いとすこしも想えない。
“ドラマ嫌い”になってしまうのも当たり前のこと。邦画に関しては、誘われるから見にいくだけで、小さい頃から好みでもなかった。洋画の方が好きだったし、邦画はアニメ作品で楽しむようにします。
ただ、役者さんが声優さんとして参加してることもあり、アニメ映画を観るのはリハビリの一環と考え、楽しんでいきたいと考えております。すこしずつなれることが出来ましたら、実写も楽しめたらと考えております。
誘われてしまった場合、拒まず、楽しむ。それは、今まで通り続けて行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします(*‘ω‘ *)v
浅草線五反田駅改札090725
2009年7月25日隅田川花火大会当日。都営浅草線五反田駅改札前の口論が引き金となったか、飛び降りてしまう。
先に自宅マンションに帰宅、心配にはなったが、連絡があるものだろうと落ち着いて過ごそうと努めていると連絡がある。
“いたい...いたい...微生物..微生物....いたいいたい..”
タクシーを自宅前の中原街道でつかまえると運転手の男性に説明してみた。地図を広げ、確認している。どうやら、場所が分かったらしい。向かってもらうことにした。先日、五反田にうかがった際、辺りを散策してみたところ、高層マンションが立ち並んでおり、見る影もない。
....現場に着いたらしい。なにかの研究施設であるらしい。駐車場の辺りを見渡してみると、靴がそろえて置いてある。
“ん?”
近づいて、確認してみると、金網フェンスの向こう側が崖になっている事が分かった。乗り出して、のぞいてみると、そいつが倒れ込んでいる事が見てとれた。
高さもあったので、崖下に降りる術を探すために辺りを見渡すと、左手が畑のようになっており、そちら側からまわりこめば、倒れ込んでいる場所にたどり着けそうなことも分かった。向かうことにした。
なんとか、そいつのもとまでたどり着くことが出来た。
そいつに語りけてみた。
どうも、飛び降りようとしたらしいが、怖くなってフェンスにしがみつき、力尽き落ちたらしい。
辛そうにしている。
救急車を呼ぶことにした。
しばらくすると、パトカーと救急車がやってきた。事情を説明。近くの病院に緊急搬送されることになった。警察官にも説明を続けた。ひとまず、パトカーに乗り込み、病院へ向かうことにした。
公益財団法人微生物化学研究会(びせいぶつかがくけんきゅうかい、英: Microbial Chemistry Research Foundation)は、元厚生労働省文部科学省所管の生物系の研究所を擁する公益財団法人。
概要
国産初の抗生物質カナマイシンの特許料をもとに、「疾病予防及び治療のための微生物及び微生物生産物の調査・研究」を主要な事業として、1958年東京都品川区上大崎に設立された。1962年同所に微生物化学研究所(英: Institute of Microbial Chemistry、通称: 微化研)を開所。梅澤濱夫博士を中心に我が国の抗生物質研究を長くリードしてきた。
8話『まっしろな朝』 放送 8月28日
病院に着くと良くない状態にあることも分かった。母も駆けつけてきたので、説明を済ませ、廊下にあるベンチに腰掛け休むことにした。当時も、睡眠障害を抱えており、前日からの徹夜明けだったということもあり、ひどく疲れた。
そんな状況下で花火を見にいこうという発想もどうかしている。事故が起きやすい条件が重なったとも考えられる。当時、そのように考えることもできなかったし、だからこそ、徹夜のまま、花火大会に参加するという発想になってしまったのだが...ひとまず、ベンチで休むことにした。
しばらく、腰をけていると、むこうから警察官が二人やってきた。どうした事かと、身構えると、はさむように両隣に静かに座った。
“にげやしない”
...とは言わない。
眠っているふりをした。なんどか目を覚ましたが、両隣に気配も感じたことから、“めんどくせーな”とは想いつつも、やり過ごそうと無理やり眠ることにした。
翌日に、詳細が分かってきた。応急処置のようなものは済んだ様子。ただ、入院が必要になるらしい。東京メトロ南北線東大前駅から、歩いて十数分程度のところにある、日医大病院らしいことも分かった。ひとまず、あいさつも済ませ、出直すため、帰宅した。
9話『今日、さよなら』 放送 9月4日
当時、品川区にある某マンションで同居しており、最寄り駅の武蔵小山駅から南北線に乗車することで、東大前まで乗り換えなしで向かうことが出来たのは有難かった。
家にいても、特にすることもないし、睡眠障害もあることから、眠ることもあまり得意ではない。早起きしがちになるから、暇で暇で仕方がない。
また、状態も気になるし、できる限り通うことにした。手術に携わる医師の説明を受けたところ、背骨が良くない状態になっている事も分かってきた。背骨の状態を撮影したものに目をやると、素人でも一目で分かるほど、マズい状態であった。
説明を詳しく聞いていくと、ボルトでつなぎ、骨がもとの状態に戻す手術が必要だそう。あいさつを済ませ、寝たきりのそいつのもとに向かった。
つらそうな顔をみるのもイヤだったので、できる限りおどけて過ごすことにした。下手くそな冗談を続けた。まわりの患者さんの眼も気にせず、何だか良く分からないことを並べた。
10話『おねえちゃん、あのね』 放送 9月11日
理由をつけて通った。結局、毎日武蔵小山駅、東大前駅間を行き来していた。
手術も無事成功したらしい。
寝たきり状態になってはいるも、できる限り笑顔にしたかった。しかめっつらになりやすいタイプの人だったし、それが、あまり、好きではなかったから、できるだけ、笑顔にしたかった。そんなことをしばらくるづけていると、車イスの段階に移行していた。
リハビリが必要になってくるらしい。
東武伊勢崎線の鐘ヶ淵にある、東京都リハビリテーション病院というところらしい。
聞きなれない地名。あまり、土地勘もない。調べていくうちに、面白い地形のところに配置されており、"大型の団地が囲うようなカタチ”
看護師さんが言うには、どうやら、地震による火災から、東京都リハビリテーション病院を守る防波堤の役割を大型の団地が担っているらしい。
隅田川と大型団地の間に、リハビリテーション病院という配置。なにかあったとしても、安心して過ごせそうなところに造られていることわかる。
リハビリ中なので、震災などがあったとしても、火災などからは、団地が護ってくれそう。反対側の隅田川に関しては、何とも言えないが、増水が予想されるなら、一時的に避難すればいい。
震災の方が怖い。
11話『悠貴へ…』 放送 9月18日
一致することが出来なかったということか。
2006年夏自殺を企図する。国体と一致することは最後まで出来なかった。意識を取り戻すと、病院内にいることが分かった。見わたしてみると閉鎖病棟であることも把握。
ボンヤリして、想いだせないことも多く、口から言葉が出てこない。言葉がイメージされない。イメージされないものは表現としてあらわすことも出来ない。
確かめながら、そいつに語りかけた...
車イスをおして、リハビリテーション病院周辺をまわった。確かめながら、言葉をかさねた。
先日、鐘ヶ淵に訪れる機会があり、辺りを見てまわることも出来た。駅周辺は変化が見られたが、病院周辺は当時の情景とそう変わらなく感じられ、なつかしくも思えた。
街並みにも変化が見られるように、人にも変化がある。
暮らしの中にも、ささいな変化があって、そういった人の想いや願いというものが折り重なって心になって行くのか。
伝えようとしても、言えなかったことはなかったか。
むっつりした顔がうかんでイヤダ...