役割:出版新聞[緩衝材] [ネットTV]MN相性最悪 [国体]M:ⅥⅦ/SS

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出版 新聞[緩衝材]

Ⅰ.父の影響読書嫌いでない

 “ムエンゴ病”をこじらせてしまったからか、“数的有利不利”なものに対して、ひどい嫌悪感を持っています。

 組織的にどうのこうのとか、組織ぐるみ、数的優位などなど、イメージなのでしょうが、こじらせてしまうと、“数”や“量”などで、云々するやつが気に入らない、みたいな発想になってしまうようです。

 “ムエンゴ”をこじらせてしまっているようなので、時間が必要そうです。

 その時間を過ごす中で、“数の暴力”にかわる、良い呼び名がイメージできると良いのかなと思いますね。“〇〇〇病”みたいなやつ。ただ、やはり、“数の暴力”はイメージが悪いのは本当。

[日本]世界でマイノリティー[七十分の一]

 それは、物理的なら、複数人でひとりの人間に暴力を加えることになります。

 まぁ、組織だったイジメです。また、「情」の世界であるのなら、SNSなので、ひとつの言葉をあげつらい、拡散炎上といった事もここに分類されるのでしょう。たとえば、有名人の方が、SNSでやらかしたとしましょう。

 そのやらかしをネットユーザーが見つけ、拡散。炎上の流れ。

 これも、イジメの構図に違いない。数の暴力。

帝国主義の世界(赤が欧米の帝国主義勢力)

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国体[平等]日本Ⅰ×Ⅰ192か国 国連加盟国

自由はⅦ

[国体] 日本 M:ⅥⅦ / 資本主義 共産主義 民主主義 普遍性 Globalism SS 海外 [鏡] 

 優秀な人ほどⅦになりやすいから、フラットな状態を確保できたほうがありがたい。

 GS一致みたところ。

 十でもいいが、優秀ほど、フラットがありがたい。また、日本としても、国体の観点から、フラットのほうがいい。

 国力を考えると当然。国土も大きくなく。資源も乏しい。食糧需給率も低い。利点があるのなら、島国。だからこそ、フラットを確保したほうが、国益にかなう。なるだけ、争いごとのない状況をつくる。もので争うのでなく、心。アメリカではだめ。

 欧州志向が最適解。ヨーロピアンデジタル。DAZN!

 優秀な人はマイノリティになりやすい。単独行動が増えることになるが、その様子とは、日本そのものでないのか。

 日本文明は [一国で成立する孤立文明]サミュエル・ハンチントン

[日本文明]一国で成立する孤立文明[1/70]

 相互の共通の認識というのも、属した世界により差異がみられる。

 個人的には、そういった違いというものを肯定的にとらえている。組織において、"共通認識”というのは、たしかに重要。ただ、それが全てではない。

 たとえば、日本。

 日本という国が“単一民族の国家、一言語の国”だったとして、また、米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントンの言う日本文明は“一国で成立する、主観的な自己認識を持つ孤立文明”だったとしても、いずれにせよ、日本人同士で通じる共通認識とは、やはり世界から見るとマイノリティでしかない。

 ただ、"日本人はマイノリティ”という事をプラスに捉えている。

 モノとして、諸外国に勝ち目がない。それが日本。

 資源もそうなら、食料もそう。殆どすべて自給自足が出来ていない。

 

『文明の衝突』(ぶんめいのしょうとつ)は、アメリカ合衆国の政治学者サミュエル・P・ハンティントンが1996年に著した国際政治学の著作。原題は『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order』(文明化の衝突と世界秩序の再創造)。

冷戦が終わった現代世界においては、文明化と文明化との衝突が対立の主要な軸であると述べた。特に文明と文明が接する断層線(フォルト・ライン)での紛争が激化しやすいと指摘した。記事の多くはイスラム圏、ロシアについてであり、他の地域に関してはおまけ程度の扱いである。

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日本文明 
2世紀から5世紀において中華文明から独立して成立した文明圏であり、日本一国のみで成立する孤立文明。

文明の衝突 - Wikipedia

Ⅱ.日本の民主主義は死んだ

影響力が有るものの政治的発言を考える

 ただ、難しいところでもあります。

 ネットユーザーが一般人だったとして、守ってもらえるわけでも無く、かと言って黙っているだけもつらい。黙っていると、言われっぱなしのケースもあるので、判断が難しいところでもあります。

 一般ユーザーからすると、そちらも“数の暴力では”となりかねない。難しい。また、ネットを利用して政治的なことを発言するうえで、影響力のある人の声ほど拾い上げられ、一般ユーザーの声なき声をすくい上げることが難しいとなりかねない。影響力というなら、そうなる。この辺も判断が分かれるところ。

一般ユーザーの声が届かない「同調圧力」

 影響力のある有名人の声ばかりとおり、一般ユーザーはものを言いづらくなる、というのもマズいのかなと考えますし、言いづらいからこそ、影響力のあるものに同調しやすくなるのかな、とも考えるのです。多様性からは外れていくようにも思いますが、どうですかね。

 様々な考えを、ある程度たがいに尊重していかないと、似たり寄ったりのつまらない感じになるような気もしますね。最近、とくにそんな感じになってしまっているのかなと、SNSなどを見ても思ったりもします。

 

Ⅲ.MN相性が悪いから問題

声が届かないから、極論が増えるのでは

 不思議です。ネットユーザーも極論が増えてきているようにも感じるのです。

 右往左往しやすくなっていますし、すぐさま手のひら返しと、とくに考えなしに、大勢の方に行ったり来たりしているのかなと。感じます。

 新聞やテレビを批判的に捉え、訳知り顔で、語り出したりもしますが、どこの何の情報なのかと。ネット上にある何だか分からない情報を切り張りしての珍妙理論で批判にご執心。そんな、何だか分からないものごとで、その分野を生業にしているものまで批判しまくる始末。

「ネット×テレビ」相性が悪  緩衝材が必要

 ネットとテレビの相性が異常に悪いなと感じる。以前から、そう思って向き合ってきましたが、それでも、どうにかなるのかなと、今年に入るまでそんな淡い期待もしてみましたが、無理っぽいです。どちらがどうこうではないのですが、難しそう。

 各々の長所と短所が別のところにあるようなので、そこらへんで喧嘩しているのかなとも思うのですが。また、双方の緩衝材的な役割として、出版があるのかなとも感じています。紙媒体。新聞や雑誌、書籍。

 これらは、ネットとテレビ双方とも喧嘩しづらい存在にも思えます。どうですかね。