ロシア連邦軍 Ⅰ等国戦争例[1904-05日露戦争] 1902年日英同盟 終わらせ方がImageできていない太平洋戦争

ロシア連邦軍

Ⅰ.[露]ロジェストヴェンスキー

 戦争を始めるにしても、終わらせ方をImageできないまま、始めてしまうと、泥沼化してしまう。今現在N讀賣勢がそのような状況に陥っているとみられるが、戦後の歴史はN正当化のためのもの。

 人工国家アメリカの実験によって、戦前戦中戦後の失政の正当化を繰り返し行っていたようだ。次々と考案した、策により、正当化を繰り返していたようだが、そもそも、Nなんてものはないから、いくら行ったところで間違いは間違い。永久に戦犯讀賣。

 東京裁判。極東国際軍事裁判判決は妥当なものとなる。

 L:ⅠⅡ/一 契約すべき。国体と契約すべき Ⅹ

 

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ロシア連邦軍(ロシアれんぽうぐん、ロシア語: Вооруженные силы Российской Федерации、略称: ВС РФ、英語: Armed Forces of the Russian Federation)は、ロシア連邦の軍隊である。

ソビエト連邦の崩壊後の1992年に、旧ソ連の核兵器を含むソビエト連邦軍の主力を継承して成立した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ロシア連邦軍

東郷平八郎  "アドミラルトーゴー"

 連合艦隊司令長官東郷平八郎さん。

 日本海海戦の勝利を受けて、"アドミラルトーゴー"などと、もてはやされたりもしたようだ。

 トルコでは、トーゴーやノギなどの名前を、生まれてきたわが子に付ける人々まで現れるほどの歓迎ぶり。

 オスマントルコとしては敵対していたロシアを破った日本に対し歓迎ムード。エルトゥールル号事件のこともあって、日本に対して好意的でもあったようだ。

 

ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー(ズィノーヴィイ・ペトローヴィチ・ロジェーストヴェンスキイ;ロシア語:Зиновий Петрович Рожественскийズィノーヴィイ・ピトローヴィチュ・ラジェーストヴィンスキイ;ラテン文字表記の例:Zinovij Petrovich Rozhestvenskij、1848年10月30日(グレゴリオ暦11月11日) - 1909年1月1日(グレゴリオ暦1月14日))は、帝政ロシア海軍の軍人、最終階級は少将。日露戦争においてバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)の司令長官を務めた。

帝政ロシアの将校には珍しく貴族出身ではなかった(父は軍医)。1864年、海軍幼年学校に入校し、その後ペテルブルクのミハイロフ砲術アカデミーを優秀な成績で卒業した後、1873年、中尉に任官した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー

1902年日英同盟 利害一致 東洋進出

 日露戦争において、日本の連合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊と日本海で海戦繰り広げることになった。ロシアの基本政策は南下政策。1年中凍ることのない港を確保するため、南下政策をとることになる。

 ウラジオストクくらいしかなく、仕方ないかもしれない。朝鮮半島の権益をめぐって、清国とも日本は対峙することになった。

南下政策 

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100年以上前  清国 ドイツ艦船購入

 1894年日清戦争勃発も、前評判ほど、清国の軍艦。ドイツから購入した定遠鎮遠は活躍することなく、陸海とも日本に敗れることになった。講和を経て、半島の独立を確保することに成功。ひとまず、脅威は退けることができた。ただ、やはりロシアの南下政策は変わらない。不凍港が欲しい様子。イギリスも東洋進出を考えていたようで、日本と同盟を結ぶことが得策と考えていたようだ。利害が一致したか日英同盟が結ばれることになった1902年のこと。また、艦船もイギリスから購入。 

 敷島、朝日、初瀬、三笠。

三笠 (戦艦) 

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正岡子規は驚くべき光景を目にする

 黄禍論というものがある。19世紀から20世紀にかけて欧州、北米、豪州などの白人国家において現れた黄色人種脅威論として知られる。黄禍論。人種差別の一つになる。

 先日、目にすることができた、NHKドラマ「坂の上の雲」では、気になるシーンがあった。従軍記者として随行していた、正岡子規は驚くべき光景を目にする。戦火で逃げ惑う、清国の人々に対し、日本兵が良くない行動をしている。ひどくショックを受けた様子。どうやら、日本軍の兵隊さんの間でも、亜細亜の人々を下に見るところがあったようです。

 

正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。

俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面にわたり創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。

正岡子規 - Wikipedia

白色国家:立ち振る舞いが問われる

 日清戦争に勝利し、後に帝政ロシアと戦うことになる。

 1904年日露戦争。相手は、白色国家の帝政ロシア。白人国家同士で、どのような結びつきがあるかわからないことから、立ち振る舞いも問われるようになっている。10年前に行われた日清戦争のころとは、違っている。

 序盤、優位に戦いを進めるも、戦費が足りなくなってくる。

 日銀副総裁高橋是清は、戦費調達のために戦時外債の公募で同盟国のイギリスに向かった。ただ、なかなか、調達することができず、困っていたところ、ユダヤ人銀行家が名乗り出た。

 ジェイコブ・シフ。

 条件があった。シベリアにいる、ユダヤ人を助けてほしいとのこと。戦費を調達することもでき、戦闘を継続することができた。

 

高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、官僚、政治家。

立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任: 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は正二位大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。近代日本を代表する財政家として知られ、総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」。

高橋是清 - Wikipedia

露:バルチック艦隊× 日:連合艦隊

 大陸での、帝政ロシアとの戦闘行為により、常に補給が必要になる。兵站。

 日本海を経由して、補給することになる。大陸での戦いも優位に進む中、知らせが入る。ロジェストヴェンスキー率いる、バルチック艦隊が向かってくることが分かった。  

 どうやら、ウラジオストクを目指している様子。対馬沖で待ち構えるも、予定よりも、遅れている。  

 旗艦三笠作戦担当参謀秋山真之は、判断に迷う。対馬海峡からウラジオストクに向かうのか、それとも、津軽海峡か。もしくは宗谷海峡か。うち漏らすことはできない。決めかねていると、連合艦隊司令長官東郷平八郎は、”対馬海峡”と静かに口を開いた…

 

秋山 真之(あきやま さねゆき、旧字体:秋山 眞之、慶応4年3月20日(1868年4月12日) - 大正7年(1918年)2月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等功級は従四位勲二等功三級。勲二等旭日重光章、功三級金鵄勲章を授与された。通称は淳五郎(じゅんごろう)。

日本海海戦出撃の際の報告電報の一節である「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の名文の作者でも知られている。 三兄は「日本騎兵の父」と云われた陸軍大将の秋山好古、次兄は朝鮮京城電気重役の岡正矣。子は4男2女。元参議院議員・大石尚子は、真之の孫(二女・宜子の長女)。

秋山真之 - Wikipedia

日英盟国イギリスが妨害行為を行う

 考えてみると、予定よりも大幅に遅れていることから、”遠回りをしたくなかった”と推測される。近道したいと思うのが人情。織り込んでいたかもしれない。 

 どうやら、同盟国であった、イギリスがバルチック艦隊に対し、妨害行為を行っていてくれた様子。

 対馬海峡で展開していると、バルチック艦隊の艦影が見えた。日本海海戦。

 

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日英同盟(にちえいどうめい、英: Anglo-Japanese Alliance)は、日本とイギリスとの間の軍事同盟(攻守同盟条約)である[1]。

1902年(明治35年)1月30日にロシア帝国の極東進出政策への対抗を目的として、駐英日本公使・林董とイギリス外相・第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・ペティ=フィッツモーリスの間で、ランズダウン侯爵邸(ランズダウンハウス(英語版))オーバルルームにおいて調印された[2]。

日英同盟 - Wikipedia

日本海海戦丁字戦法により完全勝利

 東郷平八郎率いる連合艦隊は、バルチック艦隊を前に丁字戦法とった。

 これは、トラファルガーの海戦において、ネルソン提督率いるイギリス海軍がフランス・スペイン連合艦隊にとった戦法ネルソン・タッチから着想したもの。

 普遍性の話かもしれない。古今東西における戦闘行為を分析し、より適したものをその場に、反映させる。丁字戦法になったのだろうか。

 戦法が図に当たり、連合艦隊の一方的な勝利に終わった。 

ネルソン・タッチの図。

フランス・スペイン連合艦隊(青)の脇腹をイギリス艦隊(赤)が突く

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丁字戦法(ていじせんぽう)もしくは、丁字作戦(ていじさくせん)とは、砲艦同士の海戦術の一つで、敵艦隊の進行方向をさえぎるような形で自軍の艦隊を配し、全火力を敵艦隊の先頭艦に集中できるようにして敵艦隊の各個撃破を図る戦術をいう。

T字戦法(ティーじせんぽう、英:Crossing the T)、T字作戦(ティーじさくせん)とも言う。

丁字戦法 - Wikipedia

Ⅱ.Ⅰ等国例[1904-05日露戦争]

終わらせ方をimageできていた戦争

 日本海海戦では[丁字戦法]が適しているであろうとimageし反映させたとなる。

 結果、あっけないほどの日本の完全勝利で終わることになった。

 遠路はるばるやってきたのが、よほど堪えたかもしれない。世界最強とも言われていたバルチック艦隊は連合艦隊を前に手も足も出なかったようだ。

 イギリスの妨害行為も助け舟になったかもしれないが、陸海とも勝利することができ、ポーツマス条約を経て講和の運びとなった。

 

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日本海海戦(にほんかいかいせん)は、日露戦争中の1905年(明治38年)5月27日から5月28日にかけて、大日本帝国海軍の連合艦隊とロシア海軍の第2・第3太平洋艦隊との間で行われた海戦である。日本ではこのロシア側の艦隊を「バルチック艦隊」と呼ぶ事が通例となっており、本稿でもこの呼称を用いる。

この海戦は日露戦争中の最大規模の艦隊決戦であり、その結果、連合艦隊は海戦史上稀に見る勝利を収め、バルチック艦隊の艦艇のほぼ全てを損失させながらも[注釈 5]、被害は小艦艇数隻のみの喪失に留めた。この結果は和平交渉を拒否していたロシア側を講和交渉の席に着かせる契機となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本海海戦

コミンテルン内外とも暗躍情勢不安

 日露戦争以降、間違えたかもしれない。

 薄氷を踏むもいで勝利しただけで、とても余裕のない戦争。奇跡的な勝利を重ねただけに過ぎない。にもかかわらず、臥薪嘗胆の思いで過ごしていた、日本の皆さんとしては、賠償金を期待してしまったようだ。

 それも思うようにならず、不平不満があった様子。

 地方は疲弊しており、中央に対してよくない思いを持っていたかもしれない。また、ロシア革命も発生。明石元次郎の扇動工作の結果ともいえるが、敵対していた日本に敗戦すると、帝政ロシアは瓦解。共産化してしまう。コミンテルンが日本国内にも暗躍するようになる。スパイ工作を行うようになった。

 また、米民主党にも近づき、日本に対して、敵対的な政策をとるようになった。

 国の内外とも不安定な状態。

普遍的なルールに基づいて行う戦争

 軍縮会議というものもあったが、米英日553の比率を巡って、"アドミラルトーゴー"としては、納得がいかなかったようですね。

 "なぜ、最強とも言われたロシアバルチック艦隊を破ったにも関わらず、同比率ではないのか?Ⅰ等国のロシアを破ったのになぜ…"

 "イギリスにも留学し、国際法も学んだこの私が、同比率でないとおかしい!と言っているのだからおかしい!"といった具合だったのでしょうか。

 のちに、連合艦隊司令長官になる山本五十六は留学中、米国の工業生産力の高さ、工作機械の優秀さ、天然資源の豊富さを身をもって知り、[とても勝てないな]と肌で感じたかもしれない。

 どうしても戦争は避けたかったようですが、かなわず。

WWⅠ以降[総力戦] 総合力問われる

 日露戦争というものは、海軍だけの力だけで勝てたわけでもなければ、大陸でも陸軍の奮闘があっただろうし、国内でも、爪に火を点す思い出過ごしていた皆さんの働きもあったかもしれない。また、外交力も機能したし、明石元次郎のスパイ工作もはまった。また、金策に世界を駆け巡った人々もいたようだ。

 戦争が優位に展開するも広報活動がうまくいかず、日本に融通する国が現れなかった。同盟国であるイギリスに金策に向かった、日銀副総裁高橋是清はユダヤ人銀行家から、何とか借りることができたようだ。どうやら、シベリアにいるユダヤ人を何とかしてほしいという、申し出もあったそう。

 何とか借りることもでき戦争を継続。戦争に勝利することもできた。

 そのようにして考えると、日本はもう少し慎重立ち回っても良かったかもしれない。いまさら言っても詮無いことだし、仕方ないかもしれないが、もう少し、慎重に立ち回ってもよかったかもしれない。

 大日本帝国が滅ぶこともなったでしょうか。

日露戦争敗れたなら白色だけの世界

 日露戦争の意義のようなもの。

 太平洋戦争かも知れないが、まず、日露戦争で言うのなら、有色人種の国家が白色国家を破った戦争となる。もし、日露戦争に日本が破れていたならば、世界から有色人種がいなくなっていたかもしれない。白色人種だけの世界になった可能性は極めて高い。また、太平洋戦争に関しても、確かに日本は敗戦したが、終戦後、アジアにあった欧米諸国の植民地が次々と独立することになった。

 日本の果たしたことというものを表すとそのようなものになる.。

神の視座[国体]M:ⅥⅦ/SS 

ロシア       Sロシア革命 ソビエトS十共産コミンテルン
イギリス 日英同盟 S    同盟破棄 黄禍論                 |
日本   日露戦争 M[[英]皇道派M  / [米]統制派N]政争    |終戦  現在 自民党N
--------------------------Ⅹ-----------------------------------------------------------------------
米国Tルーズベルト  S         民主党S太平洋戦争   |終戦  現在 民主党S
                                 コミンテルンS十 共産主義 |   

[国体] 日本 M:ⅥⅦ / 資本主義 共産主義 民主主義 普遍性 Globalism SS 海外 [鏡] 

[Ⅱ帝]青黄緑選択 Suntory烏[中]龍[日]茶[英]  

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太平洋戦争以降、アジアに独立機運

 国体Ⅰ / Ⅰ十 [10]二進法。公をどこに置くか。

 1人1人、家、組織、国[日本]、Globalismの国々。

 個人的には、[十]に公を置く。正しさも十に置いている、[国体]

 対象により変化を見せる正しさになりそう。GS一致を見るほど[十] 正しさ。国体。

M:ⅥⅦ/SS U:ⅡⅠ/SS 

 こちらから外れるほど、何を言っても、しても正しくない。影響力が大きいものほど、より国体破壊につながる。

 Nほど国体破壊。読売は空前絶後の国体破壊者に該当する。3S政策という発想そのものが国体破壊。常に国体破壊。考案すること自体が国体破壊。

 また、日本で正しいとされていることが、Globalismにとっては国体破壊になることが多々ある。もちろん、そうなるが、なんでもかんでも、Globalismに一致させると、[日本である必要がなくなる。日本という国は、どういう国なのかを考える、必要があるし、学ぶ必要がある。なんでも、かんでもGlobalismに一致させてしまうと日本である必要がなくなる。[日本いらないね]となりかねない。さらに、[亜細亜もいらないね]となりかねないから、考える必要もありそう。

 

3S政策による 損失の清算も必要に

 ヒトラー。WWⅠに負けたから、熱狂的に支持された。

 巨額な賠償金を求められたことによるもの。ドイツは敗戦。巨額の賠償を金を求められ、立ち行かなくなり、ハイパーインフレ。不満を抱える国民の思いを上手に利用した印象を受ける、

 不平不満を抱える国民を上手に扇動。喧伝活動もうまくいったようだ。

 日露戦争後の日本にも似ている。日本は勝利したが、不満を抱えるものも多く。コミンテルンが結びつく。また、ソ連の皆さんにも、へんてこマウントをとる日本。より、コミンテルンが暗躍する結果に。ロシア革命へ発展したことへの憤りもあったかもしれない。

 日本もひっくり返してやれ!そんな思いもあったかもしれない。また、米民主党と結びつき、内外とも不安定な状態。

 戦争が避けられなくなる。

 コミンテルンの暗躍に、統制派も大本営発表という判断になったかもしれない。Spyも暗躍しているから、仕方ない判断かも知れません。

 同じ。ハルノート。盗聴するな! 本音言わない統制。

 博報堂讀賣の番。3S政策による、大損失の清算になるようです。私が東条英機だったとしても統制するし、今現在はお見せしているけれども、問題ありますか。ないですね。なので、博報堂読売さんの番です。

 清算してくださいね。よろしくお願いいたします。