2000年森喜朗 [神の国発言] [国体] 多様性 M:ⅥⅦ  /SS 普遍性 [鏡] [八百万の神々]無機物にまで見る心Animism 心が形になる国体

私の履歴書 森喜朗回顧録

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Ⅰ.父:朝日新聞  私:産経新聞


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 父は朝日新聞。

 私は読書は好きでなかったようで、新聞を読むこともなかったようです。

 新聞戦争のようなものに巻き込まれていたようで、読売新聞さんとのものになるようです。

 小学校のクラスメイトのお父さんに読売新聞社さんの記者さん。

 身近さも感じていたようですね。

読書に身が入る  2003年3月祐天寺

 読書に身が入ることはなく、ようたく、落ち着いてできるようになったのが、祐天寺にお世話になってからとなるから、29歳のころ。

 2003年くらいからでしょうか。

 2006年夏事故により、記憶を失ってしまいましたが、その間も多くの本を読むことはできていたようです。失われてしまったのは残念ですが、仕方ないですね。

 私は産経新聞のようです。

2019年日記[スタバで伝統を考える]

 今日も朝から良くない考えばかり浮かぶので、散歩をしてきました。イオン碑文谷のスターバックスで時間を潰したりとしましたが、良い考えにはならず、終始、歩いていました。良い運動にはなっているようですが、考えは良くないです( ゚Д゚)!

 伝統について、何故だか考えてみました。伝統...

 家や国に暮らす人々の習慣から育まれた心。文化。その中でも良いものが受け継がれていく。良い心。美しい心。そういったものを脈々と受け継いできたものごと。

 その家や国に受け継がれている、美しいものごと、その心のことを指す。伝統。その家や国でもっとも貴ばれていることとも言える。その家や国の歴史そのものと言えるし心とも言える。その中でも最も美しいものごとが伝統なのだろうといえる。


 もちろん、様々な家や国があり、様々な歴史がある。文化もある。それは多種多様であり、歴史が長いものや短いもの、文化的なところや、様々な家や国がある。

 その国や家で受け継がれている文化の中でも、良いものが伝統となっていると考えると、最低限の敬意を払うのは当然のことと考えられるし、歴史の長い国や文化的な国に敬意を払うことは当たり前ともいえる。

 その家や国の長に敬意を払うのも最低限の礼儀。そういったこともせず、自由気ままに振舞うことは違うのかなと考える。無責任にも感じる。そういった考えにも至らず、敬意を払うことなく、ひと様の父や長に無礼を働くこと、そういった考えのなかに自由や平等といったものは無いのだと考えている。


 脈々と受け継がれたものの内、良いものが伝統となっている。歴史が長く、文化的な家や国ほど、良い伝統が受け継がれていると考えられる。父や母が子を想い、孫を想いと受け継がれてきた心。文化。伝統。

 その家々や、国々にある歴史に心をみることが出来ないから、敬意払うことが出来ないのか。その家々の父や母に心を見ることが出来ないから敬意を払えないのか。それとも、そんな考えにも至らない人間ばかりが増えてしまったからなのかと、近所を散歩しながら考えていました(*‘ω‘ *)

Ⅱ.2000年森喜朗[神の国発言]

[国体]多様性M:ⅥⅦ  /SS普遍性[鏡]

 首相在任中、森喜朗さんから発せられた、いわゆる[神の国発言]も問題視されましたが、自分も自殺未遂をしていることもあって、以前にもまして、同様の思いにあるようです。

 "話の内容は、もっと命を大事にしよう。生命は神様がくれたもの。その神は天照大神でも、日蓮でも、おしゃか様でも、イエス・キリストでもよい。自分の信ずる神仏でよい。"

十Ⅰ×Ⅰ 
[宇宙]時間      /空間  
[日本]多様性 M:ⅥⅦ /SS 普遍性[世界] 
         十 一致したところ国体

[国体] M:ⅥⅦⅠ  ×  Ⅰ SS [鏡] 

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神の国発言(かみのくにはつげん)は、2000年(平成12年)5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。

主権在民とは、矛盾しない。戦前は天皇と結びつけて戦争をした。そこで主権在民・信教の自由をうたい、侵略戦争を放棄するということを国是とした。(天皇中心は)日本の悠久の歴史と伝統文化と言う意味で申し上げており、戦後の主権在民と何ら矛盾しない。
どうして撤回しなければいけないのか。話の内容は、もっと命を大事にしよう。生命は神様がくれたもの。その神は天照大神でも、日蓮でも、おしゃか様でも、イエス・キリストでもよい。自分の信ずる神仏でよい。
— 『WiLL』2007年9月[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/神の国発言

[八百万の神々]無機物にまで見る心

 信仰だけでなく、どこの新聞社さんのものを読んでようが、何かを好んでいようが、より良い心、imageをはぐくむことができていなければ、意味がない。

 良い心、imageから、よい行い、表現に関しても同様。

 より良い国体というものも、より良い心からしか表現されないから、習慣Ⅶから努めたいもの。

 物事を判断する際、幼少期から育み続けた心からimageされる。また、表現する際も同じ心からとなるから、習慣Ⅶからより良い心、imageがされるように努めたいもの。

東京五輪・パラリンピック開催中!

  東京五輪・パラリンピック開催されており、五輪では、多くの選手の皆さんが活躍、メダルも多数獲得することができました。

 ありがとうございました。

 パラリンピック開催されますが、考えたりもするようです。自分も発達障害を抱えており、不自由さを感じやすいようです。なにかを受けて、余計なことまで考えたりもする。

 感受性が鋭いとなるのかもしれませんが、よくない考えにとらわれ、不可解な行動を起こしたりもするようです。そんなこともあって誤解をされたりもしたようですが、なるだけ、コミュニケーションの一致を心掛けるように努めたいと考えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

Ⅲ.Bruce Leslie McLaren

ニュージーランド  McLarenHonda

 パラリンピックに話を戻すと、imageされることがあるようです。

 マクラーレンチーム創業者。

 Bruce Leslie McLarenさん。幼少期の入院が原因となって、左右の足の長さが違う障害を負ってしまう。数年の間入院することになったが、もともと、sportsが好きだったようで、ラグビー選手、クリケット選手を目指すこともあったようだ。やはり、難しく、あきらめざるを得ない。お父さんが車関係のお仕事に携わっており、そんなことも影響したか、レーサーとして活動することになった。足を引きずりながら、挑んでいたこともあった様子。

 引退するとマクラーレンチームを立ち上げることになる。

Rugby:All Blacksオールブラックス

 McLarenHonda、アイルトンセナさんが印象深いようです。

 4歳まで埼玉県新座市で過ごしており、母の運転する車で、最寄り駅まで父を送り迎えする。途中、川越街道を経由することになるが、街道沿いに、本田技術研究所。

 なじみ深いようです。機会を見つけては、お邪魔できるとうれしいです。その際はよろしくお願いいたします。

 ありがとうございます。

 

ブルース・レズリー・マクラーレン(Bruce Leslie McLaren 、1937年8月30日 - 1970年6月2日)、ニュージーランド[1]のレーシング・ドライバー、及びチームオーナーであった。現在もF1に参戦するマクラーレンチームの創業者として知られる。1966年のル・マン24時間レースで優勝し、F1では自らのチームを含む4勝を挙げた。

生い立ち 
ブルースの曾祖父の代にスコットランドからニュージーランドに移住。9歳の時に大腿骨の主に骨頭部分が破壊されるパース病にかかり、3年間、闘病生活を送った。その後、病気そのものは完治したが、左足は右足より4 cm縮んだ。この後遺症によりレーサーとなった後も左足を引きずっていた[1]。

ブルース・マクラーレン - Wikipedia

[国体]文武両道文理両道[M:ⅥⅦ/SS]

 国連加盟国中日本を除くと192か国あるが、普遍的なルールに基づくなら、すべて国体。

 もちろん、それにも優先順位はある。常任理事国、非常任理事国といったものはあるが、いずれにしても、すべて対。国体。

 八百万の神々、もしくはユビキタスかもしれないが、日本を含め193か国が各々の視点から互いを見ることになるだろうし、その様子を神の遍在や視座といった言い方もできるかもしれない。優先順位上の国と国体にあるほど保守されるとみられる。複数その状態にあるのなら、よりされやすいとみられるから、習慣Ⅶからコミュニケーションを欠かさないように努めたい。

 また、193か国の中には、[文]が優位な国もあれば、[理]の国もある。[武]の国もあるだろうから、国体化を目指したい。

 文武両道・文理両道なる。

 GS一致みたところに全てあるだろうから、習慣ⅦからGlobalismとの一致を心掛けたい。自然と一致を見ることになる。文化防衛論の一つになるかもしれない。

 今現在、国体化にないから、文系が悪い、理解が悪いと争いごとに発展しやすいし、sportsが良くないともなりやすい。それらの問題も国体にないことが由来しているだろうから、国体化を目指したい。アマチュアスポーツの役割のようなもの。たとえば、社会人sports。Rugbyだとして、国体化を目指すためのもの。そのモデルのようなものとして、存在しているとも考えられる。低いと国体化は難しいから、Rugby、[R]で向き合う。その様子を広く見てもらう。理解につなげる。

 国体化なるといった狙いもあるとみられる。

 文武両道・文理両道かもしれないが、そのような狙いもありそう。

神の視座[国体]M:ⅥⅦ/SS 

ロシア       Sロシア革命 ソビエトS十共産コミンテルン
イギリス 日英同盟 S    同盟破棄 黄禍論                 |
日本   日露戦争 M皇道派M  ×  統制派N太平洋戦争  |終戦  現在 自民党N
---------------------------|-----------------------------------------------------------------------
米国Tルーズベルト  S         民主党S太平洋戦争   |終戦  現在 民主党S
                                 コミンテルンS十 共産主義 |   

[国体] 日本 M:ⅥⅦ / 資本主義 共産主義 民主主義 普遍性 Globalism SS 海外 [鏡] 

Ⅳ.影響力を意識する必要性

古くからある伝統的な国の物事好む

 影響力増大を考える際に必要なもの。普遍性。

 普遍的に世界で良いとされるものを好む。

 十はそうなるだろうし、影響力、古くからある国、伝統的な国の物事を好むのは得策。古くあって、伝統的な国、多くの国々に古くから、影響を与えていると考えられることから、そのような国を良しとする。得策になる。

 代表的な国はイギリス。

 習慣Ⅶから育まれた心。

 連綿と続く歴史の積み重ねから育まれた心や文化。そういったものから育まれた心が表れた様子。多様なものに見える。多様性。普遍性と一致を見たところに日本があるが、たとえば、日本の伝統的なものを紹介する際に、意識することもありそう。

[普遍性]伝統でも 一致見ない不成立

 伝統的なものになるから、習慣Ⅶから育まれた心。

 歴史の積み重ねから育まれた心や文化といったものと、普遍性とが一致を見るものをimageすることになる。

 そういったものがCoolJapanの最適解になるだろうけれども、普遍性というものがどういうものかをimageできないと、日本の歴史の積み重ねから育まれた心や文化に見ることができない。

 一致を見ないから、imageできないCoolJapanは失敗を見る。

Ⅴ.[蹴鞠]西暦600年仏教と渡来

[中国華北]4000年前 雨ごい Soccer

 物が天と地の中間である空中に留まり続けることで天と地の媒介となると考え、毬を空中に蹴り上げる儀式を行なうことで、両者のバランスを取り戻そうとしたという。

 4000年前の中国に現れた考え。雨乞いの儀式。

 日本にわたってきたのは、西暦600年代、仏教などとともに中国より渡来したとされる。サッカーの起こりとも考えられ、当時、蹴鞠ーグなるものが登場したとか、しないとか。いずれにしても、歴史は長いことは理解できる。

 サッカーは日本に古くから根付いていると考えてよく、日本に暮らす人々にも、親しみやすいのではないでしょうか。

親しみやすさも必要   広く定着する

 必要にないことは、考えないはず。

 にもかかわらず、めんどくさく考えたのだから、必要に迫らていた。中国華北。

 自然環境が厳しかったかもしれない。雨が降らなければ、農作物も育たず、餓死してしまう。神頼みのようなことを始める。蹴鞠もその一つ。ほかの儀式をしていたものもいたかもしれないが、蹴鞠が定着。

 受け継がれ今に至る。

 良いものの考え方のほうが広く定着するだろうし、多くの人が取り組むようになる。文化になるだろうし、伝統のようになる。蹴鞠というものも、そういったものになると思われるが、コミュニケーションになるから、なるだけ、多くの人々が取り組めるような、わかりやすさというものも必要になるかもしれない。取り組んでみて、効果的となると定着。受け継がれる。

 伝統のようになる。

 

蹴鞠:日本の平安時代に流行した球技の一つ。2枚の鹿革を馬革で縫い合わせて作る鞠を一定の高さ(身長の2.5倍が限度)で蹴り続け、その回数を競う競技である。
蹴鞠らしきものは、4000年近く前の華北に展開した殷の時代の記録に現われ、雨乞いの儀式と結びついて行われていたと言われる[1]。雨が降らないのは天と地のバランスが崩れているからであり、物が天と地の中間である空中に留まり続けることで天と地の媒介となると考え、毬を空中に蹴り上げる儀式を行なうことで、両者のバランスを取り戻そうとしたという[1]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/蹴鞠