明治以降キリスト教国 国体ⅡⅢ Nが国体破壊につながりやすいから注意が必要 NからJへの移行を目指す

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A層 職業:外資系、医師・会計士など専門職。 
民営化(小さな政府)方向への必要性は感じているが、これまでの実例から鑑みて批判的な立場を取っている。
エコノミスト、大学教授、マスメディア(テレビ)、勝ち組企業、ホワイトカラーなど。IQが比較的高いとされる。

C層 職業:教師、公務員、上場企業正社員。 
構造改革抵抗守旧派。IQ(EQ・ITQ)が比較的高く、構造改革に否定的。
これ以上の分析は無いとされる。

ACJapan

明治以降キリスト教国

 戦前の日本はACで国家運営を行われていたようです。A層とは、欧米の国々で良いとされる価値のもの。Cは本来の日本のよしとされるもの。AC対となって、対外的な問題にあたる。明治維新政府の悲願とは、不平等条約を改正すること。徳川の世は終わり、欧米諸国と向き合うことが必要になった。

 新渡戸稲造さんの「武士道」も対外的には、日本という国を知ってもらうため。国内向けには、武士道を通して、キリスト教の考え方を普及させるため。橋渡し役を担っていたと考えてよさそう。

 coolJapanともいえそう。

新渡戸稲造 "武士道” 橋渡し役

 殖産興業、富国強兵もうまく行えたようで、日清日露戦争を勝利することができたようです。「武士道」に感銘を受けた米セオドアルーズベルト大統領の仲介もあって、ロシアとの講和も成立。

 不平等条約も改正される。

 ようやく、対等に欧米諸国と向き合えるようになったようですが、地方には、まだ、貧しい暮らしをしている人々もおり、不満を抱えていたようです。そんな人々と、共産主義が結びついたと考えてよさそう。冒頭の表で見ると、地方の貧しい人々とはD層にあたる。共産主義とは、A層における左。ADが結びつく。

 国家運営を難しくさせていたようです。紙媒体の中には、戦争をあおるような人々もおり、共産主義の人々も協力していたようです。A(アカ)CD層で戦争を働きかけるような動きがあり、アメリカでは、民主党フランクリンルーズベルト大統領にコミンテルンの人々が近づき、日本に対し、強硬的な政策をとるようになっていったようです

共産主義が招いた 太平洋戦争

 1941年12月8日、日本国は真珠湾攻撃を仕掛ける。

 序盤は日本優位の場面もあったものの、ミッドウェー海戦の大敗北を機に、米国が反転攻勢をかける。それまで日本の領土にあった島々は次々と占領され、日本本土に対する空襲を容易にさせる。テニアン島からB29。1945年3月10日東京大空襲。首都が火の海に。同年8月6日広島、9日には長崎に新型の爆弾原子爆弾が投下される。こちらでも、多くの被害者が出たようです。

 1945年8月15日終戦を迎えるのでした。

  どうやら、内外とも共産主義の悪意というものがあって、日本国は戦争を避けられない状態になってしまったと考えていいようです。国内には、紙媒体と結びついた共産主義の人々。国外には、米民主党政権フランクリンルーズベルト大統領とコミンテルン。どちらも共産主義。

Local L:ⅠⅡ/"一" 

ロシア       Sロシア革命 ソビエトS十共産コミンテルン
イギリス 日英同盟 S    同盟破棄 黄禍論                 |
日本   日露戦争 M[英]軍令部M  /  [米]参謀本部N政争  |終戦  現在 自民党N
--------------------------Ⅹ-----------------------------------------------------------------------
米国Tルーズベルト  S   Fルーズベルト民主党S太平洋戦争  |終戦  現在 民主党S
                                 コミンテルンS十 共産主義 | 

[Sea /LandPower] ABCD Powers 

ⅠAmerica ⅡBritain ⅢChina ⅣDutch                    輸出  Output  ←  Image 生産 [ハード]
Sea Lines 中東 インド洋 シンガポール 台湾 沖縄近海    SS:ⅣⅢ / ⅡⅠ:L  [現実]  
"MASS"         U:ⅡⅠ/  SS  /ⅠⅡ:L  日米同盟                   input   →    輸入     Japan
[国体]Globalism 普遍性 民主主義 共産主義 資本主義        SS:ⅨⅧ / ⅦⅥ:M [仮想] 
                                                             輸出 Output  ←  Image  生産 [ソフト]

 

コミンテルン(ロシア語: Коминтерн、カミンテールン、ラテン文字転写例: Komintern、英語: Comintern)は、1919年から1943年まで存在した国際共産主義運動の指導組織[2]である。

別名は、第三インターナショナル[5][6](だいさん-)、第三インター[5](だいさん-)、国際共産党[2][7](こくさいきょうさんとう)。

「コミンテルン」とは正式名称の「共産主義インターナショナル」(ロシア語: Коммунистический Интернационал、カムニスチーチェスキイ・インテルナツィアナール、英語: Communist International)の略称。

1919年3月に結成され、1935年までに7回の大会を開催した。第7回大会には65ヶ国の党と国際組織の代表が出席した[8]。前身の組織として第一インターナショナル、第二インターナショナルが存在する。

コミンテルン - Wikipedia

戦後 開発独裁 3S政策

Screen Sport Sexガス抜き"D”

 戦後、共産主義の脅威というものは続いており、隣国には、ソビエト、中華人民共和国などの大国。国内は、焼け野原になっており、戦後復興も必要になっている。

 開発独裁といった発想も自然なもの。3S政策もセットで行われていたようです。地方も疲弊しており、不満を持つ人々も多かったようです。ガス抜きとして3S 政策がとられたとなるでしょうか。 

 Screen、Sport(NPB N=AD)、Sex

 3S政策に駆り出されたのがDutch。4

 

3S政策(さんエスせいさく)とは、Screen(スクリーン=映画鑑賞)、Sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、Sex(セックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされている。

3S政策 - Wikipedia

M:ⅥⅦ 国体を維持するため…

 戦前の体制(AC)を維持するために、Dの人々がその役割を担ってきたようです。

 AD N

 NPB(プロ野球)も開発独裁の一つだったのでしょう。今現在、国内はNの状態にあり、国内外で不一致を見せているようです。内外で情報が一致していないことでの弊害についても、考えていく必要がありそうですね。

 NからJへの移行。  

 

開発独裁(かいはつどくさい、英: developmental dictatorship、developmental autocrat)とは、

経済発展の為には「政治的安定」が必要であるとして、国民の政治参加を著しく制限し、独裁を正当化すること。
また、そのような政治運営を通して達成した経済発展の成果を国民に分配することによって、支配の正当性を担保としている政治体制を「開発独裁体制」という。より明確な定義を与えた「開発主義」という用語が用いられている。

開発独裁 - Wikipedia