電気痙攣療法 [2006年自殺企図時] 都施設医,医官[不適切処置と指摘] [Ⅰ]時間[一]空間[十]人間の役割[国体] [十]が最も価値あるが…破壊

電気痙攣療法

Ⅰ.[国体破壊] 脳内image破壊

 私、通電されていたかったっぽいから、イヴァン雷帝やる!

 どうやら、2006年夏自殺未遂を起こしてしまったようですね。

 イヴァン雷帝ということもあって、長年にわたって、電磁波照射されていたのもあったでしょうか、盗聴情報をもとにした、付きまという行為、イメージ戦略、ガスライティングかもしれませんが、疑心暗鬼にあったかもしれません。

 また、必要のないお薬を服用することによって、状態は低迷していたようです。そんなさなかの自殺未遂となるでしょうか。 

ホウレンソウ問題 水に流す風土も良くない

 いわゆる“ホウレンソウ”が出来ていなかったようです。また、水に流す風土も良くなかったか、より、混迷させてしまった様です。

 改善する点があるのなら、ホウレンソウはもちろんの事、水に流しすぎる事により、改善をおこたってしまった様です。

 改善の余地がありそうですね。

 

過去にあったことを、すべてなかったこととする。過ぎ去ったことをとがめないことにする。水にする。水になす。
※歌舞伎・夜討曾我狩場曙(1874)二幕「多年の恨みさっぱりと、水に流して折々は」

水に流す(ミズニナガス)とは - コトバンク

本音“i” imageされたことをstraightに表現

 本音をstraightに表現する事。

 imageされたことを投影、表現、創造物としてあらわす事。あらわれたものとimageされたものは一致しており、本音をrockとするならば、心そのものが表現には、あらわれており、表現と本音は一致している。

 良し悪しに関わらず、表現されたものが本音だとするならば、全て、当人そのもの“i”があらわれているはず。

 “i”をもって接することがないならば、成立する事はない。一致を見ない。 

[Ⅰ]時間[一]空間橋渡し[十]人間の役割[国体] 

[Ⅰ]時間 日本 歴史 

 都度の[一]空間で[Ⅰ]自分に見合ったものをGlobalism選択。

[十]時間と空間 宇宙 

 [Ⅰ]時間 日本 Local L:ⅠⅡ/一  

 [一]空間 世界  [十]時間と空間の交わるところに都度の日本があると考えることができる。

[Ⅰ]時間 日本
Local L:ⅠⅡ /一  [一]空間 世界 [十]時間と空間 宇宙

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Ⅱ.拘束電気痙攣療法について

自衛隊中央病院医官×都施設担当医「指摘有」

 閉鎖病棟内で、意識を取り戻す事になる。記憶は失われており、看護師さん、医師からの説明にもあるように、記憶は徐々に取り戻すとのこと。

 ただ、看護師さんが用意してくれた冊子にあるような効果は得られることなく、医療事故という事になりそうです。

 自衛隊中央病院医官。都施設担当医からの指摘にもあるように、おかしな施術という見方もあるようです。

 

足立区大内病院閉鎖病棟内で意識を取り戻す

 意識をとり戻すと閉鎖病棟ということが分かった。ただ、イメージされることは薄弱なことから、表現されることも情けないものばかり。

 イメージと表現は対。

 その年の10月、退院することになった。ボンヤリするイメージの中から、たどたどしく母に説明を求めると、自殺を企図したらしく、品川区にある昭和大学病院に緊急搬送される。

 胃洗浄を施され、一命はとりとめるも入院が必要になるのだとか。

 足立区にある、大内病院に入院する事になった。そこは、閉鎖病棟になっており、良くないことがあったらしく、拘束の後、電気痙攣療法の処置をとられたのだとか。母の説明からイメージするとそのようになる。

 

大内病院(おおうちびょういん)は東京都足立区にある医療機関。足立区の精神科病院としては2番目に古い、1958年(昭和33年)より続く病院である。

精神保健指定医療機関の指定を受けており、緊急時の措置入院、医療保護入院、緊急措置入院、応急入院などの地域保全に重要な役割も担っている。関連施設として精神科デイケアなどを持つため、精神科治療の幅広い症例に対応可能となっている。

正面玄関前には新西新井公園があり、閑静な住宅街に位置するため、環境・天候に影響されやすい精神科患者の治療に集中し易い場所となっている。

大内病院 - Wikipedia

[imageは物質化]仮想19 AI /    IT 920現実

 今あるもの全て、誰かの心がかたちとしてあらわれているのだとして、歴史の積み重ねの中で、淘汰を繰り返しながら、そこに有るのだろうと考えられる事から、何か意味があって、価値が有るのだろうと考えられる。

 それを、一時の考えで、なくしてしまう事。たとえば権力闘争などに利用して、なくしてしまうならば、やはり、国体破壊に違いない。 

 習慣から育まれたiを投影、表現創造物としてあらわす事。

 双方一致を見るだろうから、 表現された、文言というもの、文章というものは、imageされたものと一致している。

Local L:ⅠⅡ/  ↔ Global 
脳内image 体  /本音 表現創造物 行動 立ち振る舞い
家 家族         /他人 よその家
郷土 地域     /首都 都会
都道府県      /首都 他道府県
日本        /世界 
                 / "一"国体   Localに適す"一"かどうか?判断できる心[L:ⅠⅡ/]育む。 

"MASS"                    Ⅹ←input理 YouTube再生など ブルーオーシャン 日1-210世   
[国体]1日本 M:ⅥⅦ   /"一"資本主義 共産主義 民主主義 普遍性 Globalism SS 世界210 
文Image         →Ⅹ  理Output 表現、創造物、立ち振る舞い...[国体]

[F123M123]M:ⅥⅦ/一 
       output       ➡
[鏡]image           /     表現創造物一致 [国体]   
        ⇚    input    input image output 一致、真似る、学ぶ。

[理想]inputをoutputが[↑↑]するようImageし表現。差分が価値。バブル。 

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Ⅲ.精神科医人格にまで悪影響

日々の積み重ねから心 良い心から良い表現

 日々の営みの積み重ねから心が育まれる。

 文化かもしれないけれども、習慣から育まれた心から、物事を判断するかもしれないし、表現する際も、心にあるimageから、表現がされる。imageとしてあるものと表現として現れるものは一致をみるから、習慣からより良い心育むことを目指したい。 

 もちろん、そのようになるけれども、 電気痙攣療法をどのように考えればいいだろうか。日々の積み重ねから育まれるのが心なのだとして、その日々の積み重ねという、連続性を電気的に破壊してしまう行為。時間の経過という歴史の連続性を破壊してしまう行為。

宇宙[時間・空間]の交わるところに自分  “i”

 空間と交わるところに自分がいるが、時間の経過の中で、都度属した空間で対峙する物事、人かもしれないけれども、都度心が育まれる。もちろん、よい心だけではないかもしれない。

  良くないこともあるかもしれないが、それも、日々の積み重ねに違いないから、むやみに良くないものとするのも、よくないこと。そこから、何かを考えることができるのなら、それはそれで、よいもの。反面教師という言い方もできるかもしれないが、むやみに良くないものとして、ないものとするのは問題になりそう。

体験の連続性を破壊、「時間×空間」国体破壊

 記憶の宇宙をさかのぼると、都度の“i”をimageすることができる。

 都度属した空間での“i”に違いないが、より良いiからは、より良いimageがされるだろうし、よくないiからは、良くないimageがされる。良いimageからは良い表現、良い国体をimageできるから、良い国体を表すことができる。

 習慣からより良いimageを育んでおきたいし、よいimageを保守したいという心は自然だし、愛国心という言い方もできる。 

[Ⅰ]時間[一]空間橋渡し[十]人間の役割[国体] 

[Ⅰ]時間 日本 歴史 

 都度の[一]空間で[Ⅰ]自分に見合ったものをGlobalism選択。

[十]時間と空間 宇宙 

 [Ⅰ]時間 日本 Local L:ⅠⅡ/一  

 [一]空間 世界  [十]時間と空間の交わるところに都度の日本があると考えることができる。

[Ⅰ]時間 日本
Local L:ⅠⅡ /一  [一]空間 世界 [十]時間と空間 宇宙

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Ⅳ.[Ⅰ]時間 [一]空間  [十]破壊

電気痙攣療法は  焚書そのものといえないか

 電気痙攣療法は、電気的に脳内にある情報を破壊してしまうことにより、体験の連続性を破壊してしまう行為。歴史の連続性破壊という言い方もできる。

 imageされることから表現がされるだろうし、よいimageからは良い表現、よい国体を表すことができるかもしれないが、記憶を失いimageすることができなければ、表現として表すこともできない。ないものからは何も表されることはない。

 歴史の連続性を断つことの悪意を表現してみたけれども、いずれにしても、都度向き合った人ものことから育まれた心。imageされるべき“i”というものもすべて失われた。携わるものすべての“i”をないがしろにした卑劣な行為。

 許されるものではない。

 

良し悪し問わず本音からの表現なら全て  “i”

 日々の積み重ねに心が有るのだとして、つど属した空間で発せられた表現というものも、その良し悪しにかかわらず、その人そのものの心に違いない。

 たとえ、良くないものに見えたとしても、本音から発せられた表現というものは、その人そのものの“i”に違いないだろうから、良し悪しにかかわらず、国体という事になる。

 また、物事を判断するにしても自らのimageを投影してのものになるだろうから、良し悪しの判断も、その医師そのものの“i”の良し悪しという事になるだろうか。 

 

1.体験の連続性を破壊する 

 自覚としてある。 2006年夏から、2年弱にさかのぼる期間の記憶が失われており、問題を次から次へと呼び込んだようなところがあるようです。失われてしまったから、なるだけ吸収しようと何でもかんでも、自分のものとしようとし過ぎる。なんでも鵜呑みにしてしまった。自分のものとは違うものまで、自分のものにしようとし過ぎ、結果として大問題に発展する。また、体験の連続性が途絶える事は、習慣から育まれるべき、心や文化というものを否定している事でもあるから、やはり、良くない治療法と考えられる。心をモノと見た、唯物的な治療法。国体破壊。左翼のそれ。

2.服薬はそれ自体が体験であり、しばしば好ましい体験であり、関与的に観察できる電撃は当人の体験とはなりえない 

 2.は1.ともリンクしていると考えられ、たとえ、状態が良くなかったとしても、服薬による体験、またそこから発せられる表現から、医師は判断する事になるのかもしれないが、そういった事まで、なかった事になるのは、大問題。歴史の積み重ねを破壊。国体破壊。左翼のそれ。唯物的。"アカ”

3.薬物は納得ずくで服用し、治療者が微調整でき、患者が異議を申し立て、両者間に相互のフィードバックができる。患者と治療者も進歩しうる。電撃は悉無律(しつむりつ;全か無かの法則)に従い、かつ患者からのフィードバックは通常ない 

 3.も1.2.とリンクしており、薬物療法なら、医師と患者がある程度納得して治療を行っている事から、患者としても、受け入れられる部分が多いはず。ただ、電撃では、すべてなかった事にもなるし、それ以前のものが全て無駄なものになってしまう。関わった医療従事者全ての行為が無駄になってしまう。人の心をないがしろにした、心ない行為。心ないものから、表現がなされる事はない。イメージと表現が一致するなら、そうなる。また、携わる人々の心にも配慮できてない行為も心ない。文化にはならない。左翼。"アカ”のそれ。国体破壊。  

4.薬物は本人および家族に治療への参加感を与える。電撃は彼らを蚊帳の外に置く 

 正しくそうなる。拘束、電気痙攣療法では、参加感もへったくれもない。屈辱感でしかない。殺意すら覚える。殺せるものなら殺したい。そんな想いか。殺したい。心ない。左翼のそれ。"アカ” 唯物的。国体破壊。殺したい。 

5.電撃は精神科医の人格に影響を与える。無感覚になるか神経衰弱になるかは別として。看護師についても同様 

 電撃を受けた、当人だけでなく、医療従事者にまで悪影響を及ぼしてしまう、電気痙攣療法。何のために存在しているのか、理解に苦しむ。1~4まで通じているのは、習慣から育まれる心を無視していること。時間と空間の交わるところに自分がおり、つど属した空間から、心が育まれる。文化になるかもしれないが、医療従事者、患者とも負の要素が多い、治療法が存在している理由はなにか。拘束に関しても、2006年には国連でも問題になっており、こちらも、今後とも考えて行く必要が有りそう。いずれにしても、心ない事には違いないし、内外ともに指摘されている事から、今後も注視が必要になりそうです。

 

電気けいれん療法(でんきけいれんりょうほう、電気痙攣療法)は、頭部(両前頭葉上の皮膚に電極をあてる)に通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法である[1][2]。ECT(英語: electroconvulsive therapy)、電撃療法(英語: electroshock theraphy: EST)、電気ショック療法(ES)[3]とも言う。

ECTには大きく分けて、四肢や体幹の筋にけいれんを実際に起こすもの(有けいれんECT)と、筋弛緩剤を用いて筋のけいれんを起こさせないもの(修正型ECT、無けいれんECT)に分類され、用いる電流も「サイン波」型と「パルス波」型に分類できる。

電気けいれん療法 - Wikipedia