白洲次郎さんについて考える 歴史物や伝記は史実より、より良い人間や心を育むものが指針としていい 足柄妙高型3番艦の話
白洲次郎さん
自分とは違う、ただ…
白洲次郎さんについて考える事が最近多く、自分にとってどうかと確認作業の様な事も続けてもいる。ただ、やはり、無理なのだろう。
そもそも、つくりも違うし、キャラでもない。
白洲次郎さんを題材にしたものに目を通した事もあって、ものの考え方や、とらえ方が好きで、参考にする事もあった。心の部分はどうにかなりそうですが、外の部分で近づけるのは難しい。
史実よりもより良い心よい人間を育むもの
史実というものを、そこまで重視ししておらず、文化の様なものは、心を育む事ができるのか、そうでないのか。ファンタジーは、そこに分類されるのだろうし、もし、白洲次郎さんのエピソードも史実と違っていたとしても、指針としてあるのなら、問題ないと考えており、できる限り、その様な人間を目指そうという、モデルなら良いもの。
確かに、難しいかも知れない。ただ、難しいからと理由をみつけては、目指さない方が問題の様に感じられる。
“史実ではない、嘘だ”と言い続けて、目指さないあり方の方が、問題。
ファンタジーだとしても、より良い心、より良い人間を育む事ができるのなら、やはりそれも真実なのだろうと考えている。
白洲次郎さんを考える中で、イメージされたものというのは、足柄妙高型3番艦。
白洲 次郎(しらす じろう、1902年2月17日 - 1985年11月28日)は、日本の実業家。貿易庁長官。兵庫県芦屋市出身。
連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任した。
足柄 妙高型3番艦
日本海軍の重巡洋艦川崎重工業神戸造船所
“足柄 妙高型3番艦”
下記引用でも、確認できるとおり、評価が大きく分かれた船としても知られる。
“1982年発行の『ザ・ロイヤル・ネーバル・レビュース』は、本艦について「高速で兵装の強力な艦」としつつ、「しかし、美しいフネとはとてもいえない」と評した。”
“またあるイギリス人記者は「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった」とイギリス流の皮肉を交えて足柄を評した。”
“ちなみに、『美女と野獣』で知られるフランスの前衛芸術家ジャン・コクトーのように、足柄の機能美を絶賛している西欧人もいる。”
この様に、評価はまちまち。どちらの考え方もわかるし、立場によって変化があるのも当然。日本にとっては、美しさを艦船に求める余裕はなく、生き残りをかけ、作り上げた船。できる限り少ない予算でとなると自然に、機能性を重視するのも当然のこと。たとえ、それが、人殺しの道具だとしても、戦争に負けてしまったら、それどころではない。ご先祖様は、その様に考えたのかも知れない。
日露戦争にはまだ心がある武士道と騎士道
もちろん、イギリス人記者の考えも理解できる。たとえば、AI兵器で考えたらどうか。機能を最優先にしたとして、どうなのか。これを考える上で、日露戦争を描いた、二百三高地のあるワンシーンをイメージしたりもする。
日露両軍が、いくさを一休みし、酒を飲み交わす。時間が来ると、また戦い始める。
武士道と騎士道で戦っているとも言えるのかも知れない。
まだ、この時代に、勝つためには、機能を優先させるといった発想は見られない。言い方は悪いかも知れないが、良い時代だったとも言えそう。
のちに戦争も、総力戦の様相を帯びてくる。背に腹は変えられなくなったという事か。勝つためには、綺麗事を言えなくなったとも言えそう。
足柄の話に似てないか。勝つためには、生き残るためには、綺麗事も言えないし、貧乏な国なら、美しさなど度外視せざるを得ないのだろう。ただ、しっかりそれをみる事ができる人間も確かにいて、『美女と野獣』で知られるフランスの前衛芸術家ジャン・コクトーはそれに当たるのかも知れない。
「武士道」とは「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」からなる道徳である。
「義」...人間としての正しき道、正義を指すもので、武士道のもっとも厳しい徳目である。「フェアプレイ精神」
「勇」...義を貫くための勇気のこと。犬死はならぬが、正義の為なら、命も惜しまず。
「仁」...人としての思いやりと他者への憐れみの心。「惻隠の情」であり弱き者を、いたわり思いやる心。
「礼」...仁の精神を育て、他者の気持ちを尊重し、そこから生まれる謙虚さ。つまり礼のことで、「礼儀作法」の根源。
「誠」...文字通り、言ったことを成すこと。嘘や誤魔化しを嫌い「武士に二言はない」という言葉は武士道の徳目である。
「名誉」...自分に恥じない高潔な生き方を追求し、そして守ること。つまり、恥を知ることにより、己自身の立ち振る舞いを正される。如何に美しく死ぬかを追求する事は同時に生きる事も追及する事になり、そして、その命とは何のためなのか、と言う哲学にたどり着く。
「忠義」...なんのために生きるのか、それを表すもの。己の正義に値するものであるなら、絶対的な従順を示す。しかし、奴隷にはならず、己の命をかけて主君に意見する事でもある。
機能を優先したAI兵器は恐ろしいと思う心
第一次世界大戦、第二次世界大戦と大きな戦をする中で、総力戦の恐ろしさを知った。
国家間でガチンコの戦をする。相手コテンパンに打ちのめすまで闘う。そして、日本は負けた。
1945年8月15日終戦。あれから、大きな戦争というものはないが、いやな話を多く聞く様になった。
AI兵器というものが心底怖いもの映っており、第一次世界大戦、第二次世界大戦と総力戦の恐ろしさを経験しているにもかかわらず、なぜ、機能を最優先した様な、人殺し兵器の様なものを作り出そうとしているのだろうか。それが、AI兵器なのだとして、なぜ、人殺しの機能を優先させるのだろう。
そこでようやく、イギリス人記者の皮肉の意味がわかる。
足柄(あしがら)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型の3番艦。川崎重工業神戸造船所にて建造。艦名は神奈川県箱根の足柄山に因んで命名された。なお、戦後この名称は海上自衛隊のあたご型護衛艦の2番艦「あしがら」に受け継がれている。
1937年のジョージ6世戴冠記念観艦式の際には招待艦としてイギリスへ派遣され、「飢えた狼」というニックネームをつけられた。
エピソード
上述の通り足柄はイギリスにおいて「餓えた狼」というニックネームをつけられた。日本側ではこれを足柄に対する高評価であると解釈したが、イギリスの巡洋艦にある気品や優雅さ、ゆとりといったものが皆無で無骨一辺倒の様子を見ての半ば揶揄だと言われている。1982年発行の『ザ・ロイヤル・ネーバル・レビュース』は、本艦について「高速で兵装の強力な艦」としつつ、「しかし、美しいフネとはとてもいえない」と評した。各国や個人の美意識の問題も関係しているとされる。またあるイギリス人記者は「今日私は初めて軍艦を見た。今まで私が見てきたのは客船だった」とイギリス流の皮肉を交えて足柄を評した。ちなみに、『美女と野獣』で知られるフランスの前衛芸術家ジャン・コクトーのように、足柄の機能美を絶賛している西欧人もいる。