ウナギ法案と民主主義 人間ってなあに? [父] 北海道 [母] 栃木県 [私] 1974年(S49年寅)6月6日 神奈川から育みなおし

 

鰻と民主主義 

 我が家は三人家族となっており、母だけウナギが食べられない。

 夕食でいただこうとするも、食べられないから、別のものを食べることになる。

 父と私はウナギを食べることになるが、たとえば、民主主義なのだとして、多数決をすることになる。

 採決をとると、賛成2票、反対1票となり、夕食ウナギ法案が可決成立。

 皆さんでウナギをいただきましょうとなる。

 もちろん、そうなりそうだけれども、母はウナギが苦手で食べられないから、その法案は納得いかない。もちろん、そのような状況を見るのもつらいから、私は反対票を投じるかもしれないが、そういうことを言いたいわけでなく、ウナギを食べなくていいという選択を良しとする。

 父もそういう考えにいるし、私も同様。

 三人ともウナギでなくともいいと考えている。母は別のものを安心して食べることができる。心が晴れた。

 自由。

 平等と考えると三人ともウナギとなりそうだけれども、自由の選択の中から、ウナギ食べなくてもいいよとすることで、母は安心して食事をとることができる。

 自由。

 

 もちろん、そうなるけれども、個人的に納得いかないことがあるのは、エキストラさんの扱い方。いい加減にしてくれ!と、崔さん、お願いしているにもかかわらず、2019年四度、2020年七度通報。七度目の通報から入院。

 これでは、ろくでもない家。N仮想とはいえ、東京の印象良くない。家とするのなら、DVと認識できる。事実自殺未遂騒動も起こしているし、閉鎖病棟内で電気痙攣もされ記憶を2年弱うしなう。仮想空間とはいえ、DVとなる。

 もう少し、一人一人にあった向き合い方をしても良かったではないか。

 夕食のウナギをいただき、そんなことも考えたりもする。

 

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