西暦について考える...西暦で物事を記憶 "成長度合いの把握も易い” 砂漠で育まれた心 “水に流す”という概念があるはず無い
西暦を考える
和暦 一致させるのが難しい
ある時期から、西暦で記憶するようになった。
昭和49年6月6日東京生まれ。
西暦にすると1974年生まれという事になるが、どうも、和暦と西暦を一致させることが上手くなかったことから、西暦で記憶するようになりました。
ただ、利点も多く、西暦から、過去の記憶を導き出しやすい事。たとえば、なにか出来事があったとして、当時、どのように考え行動したか。また、そのことによってどうなったかということを、検証しやすい事も良い。
【宗教史①】〜ユダヤ教・キリスト教・イスラム教〜
西暦(せいれき)とは、キリスト教でキリスト(救世主)と見なされるイエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法である[1]。
ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」が使われる。A.D.またADとは「アンノドミニ (Anno Domini)」の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」という意味。西暦紀元、キリスト紀元ともいう。
“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”
成長度合いを計るには、西暦は好都合になっている様子。
ものごとから、10年経った、20年経った、今と比較してどうか。また当時の社会の状況とも照らし合わせ比較をしやすい。
縦軸。自分の記憶というのは歴史。
ドイツの政治家さんビスマルクは、“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”とそのように言ったらしいが、やはり歴史からも学ぶ必要があるし、自分の記憶というのも歴史の一部として、そこから学んで行く必要もあるということなのだろう。
"愚者は経験に学び”というのは、自分の経験からしか学んでいないと言えるし、過去の歴史の積み重ねが今の自分ということも忘れている。やはり、歴史から学ぶ必要もあるのだろうし、そういった想いにこそ、ローカルの文化を保守すると言った心もありそうです。
記憶の宇宙 時間たどると都度の空間にi
記憶をたどることによって、多くのiをimageすることができる。
都度見聞きしたものごと。そこで育まれたi。都度の空間には、都度のiをimageすることができるが、良いimageとしてあるのは、地元神奈川県のものばかり。小学校高学年までのものとなるでしょうか。
どうやら、当時暮らしていた一軒家家屋内に、電磁波攻撃を行われていたようで、家の中で過ごしていた私は耳鳴り症状に悩まされておりました。Nが差し向けていたエキストラとみております。残念な思いになります。おそらく三位一体に対する挑戦になるでしょうか。三人家族で構成されていたことからも、そのように見ております。また、盗聴被害も受けており、そこで得られた情報から、ガスライティング、イメージ戦略も行われていたようでした。
良いimageからは良い創造物 "国体破壊"
徐々に人間不信に陥ってしまい、学校が苦手になってしまいました。
中学生のころには、エキストラの存在も気づけてしまい。思い返しだけでも不愉快。殺したいくらい。
死にナ! ジハーーーーード!!
高校に進学すれば改善されると期待していたが、思うようにならない。残念に思うも、仕方ないとあきらめ、やり過ごすことにした。徐々に居場所がなくなり、家にこもりがちになった。
テレビが友達になった。
ジハーーーーーーード!!
ジハード(جهاد jihād)は、アラビア語の語根 جهد(J-H-D、努力する)から派生した動詞جاهد(ジャーハダ、戦う)の動名詞で、「違うベクトルの力の拮抗」を意味する[1]。
一般的にイスラームの文脈では「宗教のために努力する、戦う」ことを意味し、イスラム法学上のジハードは、「イスラムのための異教徒との戦闘」と定義される[1]。 しばしば「聖戦」と和訳されるが、ジハードという語には「聖」の意味はないため、正確ではない[1]。
水に流す という言葉もある
良い言葉であるものの過ぎるとマイナス
たしかに、大事な考え方かもしれないが、あまりにも、水に流すことを良しとし過ぎると、過去をおろそかにすることでもあるし、歴史を軽視し過ぎている。
心も文化も大事にしていなければ、ローカルの心も大事に出来ていない。多様性からも逆行している。伝統文化というものがあるのだとして、これらを軽視することにもつながる。
保守的ではない。
水に流す
"過去にあったことを、すべてなかったこととする。過ぎ去ったことをとがめないことにする。水にする。水になす。”
"水に流す”は良い考え方だし、否定はしない。 ただ、やりすぎると良いことは一つもない。
過去や歴史を否定することと同じになる
何か間違いがあったり、イヤなことがあったのだとして、反省することもなく、水に流し、忘れ去る。省みることなく、改善することなく、忘れ去る。どうか。
水に流し、忘れ去ってしまっているのだから、また、同じ過ちをくりかえす。歴史から学ぶことを忘れている。水に流し、歴史を疎かにしている。
ネガティブな人ほど、天才や発明家が多いというものも、あやまちや失敗というものを糧にし、より良いものへと変化させることを続けた結果に他ならない。
もっといいもの、もっといいものという追求心も、間違いがあった時に、認め改善することをおこたらなかった結果にも思える。
やはり、非を認めあらためる心というものも必要なのかも知れない。
過去にあったことを、すべてなかったこととする。過ぎ去ったことをとがめないことにする。水にする。水になす。
※歌舞伎・夜討曾我狩場曙(1874)二幕「多年の恨みさっぱりと、水に流して折々は」