五体不満足 / 乙武洋匡 フランクリン・ルーズベルト大統領車いす 4,5歳のころ武道館 父と募金に向かう

乙武洋匡

Ⅰ.Fルーズベルト大統領車いす

 フランクリンルーズベルト大統領も車いす。

 第32代大統領にも選出。太平洋戦争時の大統領としても知られており、WWⅡ参戦を決意させたのも、真珠湾攻撃の様子によるもの。

 ルーズベルトゲームというものもあるけれども、こちら、最もエキサイティングな野球のスコアを表したものを記者の皆さんが呼ぶようになったもの。

 7対8のスコアをルーズベルトゲームと呼ぶが、32、78いずれも国体を表す数字なのも興味深い。

 [L]Ⅱ⇔Ⅲ[M] [Q]Ⅶ⇔Ⅷ[R]

 

4,5歳のころ武道館 父と募金に向かう

 4,5歳のころ、父と募金しに、武道館にお邪魔したことがありました。

 その節はありがというございました。小銭をためた瓶を父と二人、募金するために九段下まで向かったのも、良い思い出としてImageされます。そんな父も今では、ほぼ寝たきり。身の回りことを母が行っているようです。長年低迷していた賢君を、何とか自立できるようにと、両親は夜遅くまで働いていたことも想い出されます。申し訳ないという思いが強くあるようです。

 残念でなりません。

 

Ⅱ.都リハビリテーション病院

2006年[H18年]8月27日自殺企図32歳

 2006年には自殺してしまいますが、入院先でさらに事故。記憶も失ってしまう。

 それでも、周りでサポートしてくれる皆さんもおり、助かりました。2009年には事故。周りで、賢君を盛り立ててくれていた、相方が、飛び降り自殺。一命はとりとめましたが、背骨を折る重傷。

 南北線。東大前駅、日医大病院で、手術。レントゲンの様子を見ることが出来ましたが、素人がみてもわかるくらい、ひどい状態。

 無事手術も負え、寝たきりではあるものの、笑顔を見ることが出来、一安心。車いすの状態まで回復すると、リハビリが必要になった。鐘ヶ淵にある、東京都リハビリテーション病院。

 しばらく、通称トリハに向かい、車いすを押して過ごしたようです。そんなことも、隅田川花火大会のたびに想い出されます。

2009年[H21年]7月25日 相方自殺 IF?

 クロスロード作戦ベーカー実験からちょうど63年後。

 ビキニ環礁原爆実験で知られるものになるが、長門、サラトガ、プリンツオイゲンなど多くの艦船が標的となった実験とされる。ちょうど63年後に自殺したのが、興味深い。なにか、狙いがなかったか。賢君もさかのぼること3年前に自殺。運よく一命をとりとめたが、疑念を抱かざるを得ない。いまだ、説明一つないのも不信感を増大させている。賢君の自殺から十六年経過しているが、説明が一つもない。

 書面で同意書があったかと思うので、こちらも筆跡鑑定にかけるのも良いのではとも考えている。父からは弁護士さんの紹介もされており、出版社経営時にお世話になった弁護士さんのようだ。銀座に事務所を構えているようですので、お邪魔するかもしれません。その際はよろしくお願いします。